フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」(1942.12.6-8Live)ほか

4歳の頃、母アーデルハイトから音階とピアノの手ほどきを受けたとき、とっくに昔からすべてを知っていたかのようだったという。
離婚歴があり、何人もの愛人を抱え、非嫡子は13人に及ぶというフルトヴェングラー。
音楽の天才である一方、日常においてはとても人間臭い人だったフルトヴェングラー。
何より両親を大切にした優しい人だった。
巨匠も人の子だったことがわかる。

80歳のお誕生日に、母上の他の子供たちといっしょにおそばにいることのできないのを、とても悲しく思います。しかし、これにはのっぴきならぬわけがあるのです。ぼくは今、いわば期限づきの仕事をかかえていて、この交響曲の総譜は出来しだい写譜屋へ渡さなくてはなりません。さもないと、写譜が間に合わず、上演をもう一年延ばさなくてはならなくなります。目下そのために、連日寸暇を惜しんでがんばっています。神の加護のもと、2週間で仕上げることができましたら、ベルリンへ行く前に、ひとりでゆっくりと母上のもとへまいります。そのときはまたお便りします。とにかく、きっとまいります。
お誕生日に幸あらんことを。
近くお目にかかるまでお元気で!

(1942年9月11日付、母アーデルハイト宛)
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P123

1943年にはエリーザベトと再婚、翌44年11月11日に息子アンドレアスが生まれる。
その一方で、4日前、1944年11月7日に母アーデルハイトは逝去していた。
生と死を、喜びと悲しみをほぼ同時に体験したフルトヴェングラー。巨匠の芸術の根底に流れるのはまさにその両極の、愛と死ではなかったか。
ちなみに、ハイデルベルクにあるフルトヴェングラーの墓石には新訳聖書から次の言葉が引用されている。

「普遍的なものに信仰と希望と愛があるがその中で愛が最も大いなるもの」

戦火の中で奏された灼熱のシューベルトは大ハ長調「ザ・グレート」。
あらためて正面から集中して聴いた。(何度聴いても)やっぱり凄かった。

・シューベルト:交響曲第9番ハ長調D944「ザ・グレート」(1942.12.6-8Live)
・ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲作品56a(1943.12.12-15Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

旧フィルハーモニーでのライヴ録音は信じられない生々しさ。
かつて(僕にとって)火を噴くような印象だったシューベルトは、単に激烈なだけでなく、そこには抒情があり、また愛があった。造形は生物のようにとことん有機的で、すべての音、フレーズに意味があることを教えてくれた名演奏は、第1楽章アンダンテ—アレグロ・マ・ノン・トロッポから何と刺激的なことか。相変わらずのテンポの伸縮、あるいは漸強漸弱の妙味、音楽の醍醐味がここにある。

続く第2楽章アンダンテ・コン・モートには喜びはない。むしろ悲劇的な戦争への非難とも言える、何もすることのできない自身の不甲斐なさへの懺悔が刻まれるようでとても悲しい。そして、もはや悪魔的ともいえる第3楽章スケルツォから終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェに至る20分ほどはフルトヴェングラーの真骨頂。弦がうねり、金管が咆える様にその場に居合わせた聴衆はひとたび戦争のことなど忘れたことだろう。
翌年もブラームスも愁いに溢れ、当然素晴らしい。

今日、手紙を受け取りました。2日前にママあてに打った電報からもう分かっていると思いますが、ぼくはなにも知りませんでしたし、そちらで打った電報も受け取っていなかったのです。(いまだに着いていません。)ぼくの子供が生まれる前に、もう亡くなっておられた! ああ、メーリットよ、人生とはきっとこんなものなのだ。それにしてもなんとむごいことだろう。それに、ちょうど今日、ちょうどあなたの手紙を受け取ったとき、ぼくは母上に詳しい便りをしようと思っていたのです。
(1944年11月14日付、妹メーリット・シェーラー宛)
~同上書P129

妻エリーザベト宛の手紙のほか、同日の手紙が妹メーリットにも送られている。
巨匠にとって母の死がどれほど衝撃だったか。
母の葬儀にも間に合わなかった彼の無念が心に迫る。

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