ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」(1956.6.27録音)

久しぶりにチャイコフスキーの「悲愴」を聴いた。
この、聴き尽くした感のある交響曲の「暗鬱な側面」を内省的に描くムラヴィンスキーの解釈が、作曲者のおそらく無意識の慟哭の表情(そういう側面ということ)を反映するようで実に感動的。
1960年の欧州ツアー時に収録されたものではなく、1956年のツアー時のDG盤というのがミソ。1950年代はレニングラード・フィルの絶頂期だったという。

ムラヴィンスキー様、ありがとうございます ムラヴィンスキー様、ありがとうございます

1950年代のレニングラード・フィルは演奏においてピークに達していた。ヴィオラ奏者のワレンチ・スタドレルは確認している。「ツアーで外国に行った時、他のオーケストラも聴いたが、私が聴いた他のどのオーケストラも演奏、特に弦セクションについて、手の届かないものではなかったと、確信をもって言える」。
グレゴール・タシー著/天羽健三訳「ムラヴィンスキー高貴なる指揮者」(アルファベータ)P226-227

鉄壁のアンサンブルは、ムラヴィンスキーの要求に100%応えているようだ。
鋼のようでありながら、あるいは冷徹といわれながら、その音楽には他にはないヒューマニティが刻印されるように僕には聴こえる。それがなければ、これほどまで愛される、そして歴史に残るものにはなり得ないだろう。

・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(1956.6.27録音)

ムラヴィンスキーの音楽の最大の特徴は、内省的な点にあるだろう。
ここには一切の、個人的感情移入がない。冷静なという言葉も使いたくないほど中庸な、これ以上ないというほど「ゼロ」を体感させてくれる音楽がある。

ムラヴィンスキーの日記。
1956年.バルコニーに出る。ツバメが高く飛び、そのかすかな羽音を聞くことができる。水辺へ降りて行く途中で、オルロフに会うと、ザポロツキーとお祝いの夕食会(祝祭の終わり)に招待してくれた。これがなくてもやっていける。朝食後マリアが現われた—どうして訪ねなかったかと彼女からの非難。私たちはニーナ・チェルカソーヴァの所へ行く。彼女は外のバルコニーにいた(死について。過去の、いや特に未来の人間の功罪について)。午後4時—車が到着した。「プペ」でカペツキーと、コーヒーとコニャック。6時、帰宅。プラハへの旅行を何とか辞退する方法を模索。カペツキーには行くことに同意していたのだが。心配。血圧が上がる。旅行を取り消す電報を打つことに決める。「ボリショイ劇場芸術家」で夕べを過ごす。バチューリン一家の思いもよらない魅力に心を動かされる。

~同上書P225

芸術家の個人的な思いが綴られた日記の面白さ。
おそらく、先の欧州ツアーから帰国しての日記なのだろうと思う。

現実世界の中にあって、ムラヴィンスキーの意識は大宇宙にも小宇宙にも向けられている。
(彼にとってお祝いの会などどうでも良いことなのだ)
(そしてまた、語弊のある言い方だが、彼は人間関係の煩わしさにも辟易しているのだ)

ザンデルリンク&ムラヴィンスキーのチャイコフスキー交響曲集(1956)を聴いて思ふ ザンデルリンク&ムラヴィンスキーのチャイコフスキー交響曲集(1956)を聴いて思ふ

なるほど、未来を憂える「悲愴」だ。
その慟哭は自らへも、あるいは世界へも向けられていたのだ。

オイストラフ ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品77(1956.6.23Live)ほか ムラヴィンスキー レニングラード・フィル チャイコフスキー 交響曲第5番(1956.6録音)

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