1955年6月6日、チューリヒで80歳の誕生日の盛大な祝賀会が行われた。そのあと、トーマス・マンは7月1日にアムステルダムにおいて『シラー試論』を講演している。しかし7月18日、左脚に痛みを覚え、数日後にチューリヒ州立病院に入院する。一時小康を保ったが、脚部大動脈の石灰沈着により、8月12日、同病院でマンは息を引き取る。彼はほとんどその最後の瞬間まで活発な仕事をし続けていたのであった。
~辻邦生「トーマス・マン」(岩波書店)P269-270
1955年8月12日、トーマス・マン逝去。彼は生涯現役を貫いた。
マンはワーグナーの心酔者だった。また、ヒトラーもワーグナーに熱狂している。とすれば、それは単なる好みの類似だけではなく、民族的な魂のレヴェルで何か共通した根があるに違いない。その実態は複雑だが、あえてそれを一口で言えば、魂も肉体も何もかも包んで押し流してゆく、恍惚たる官能的な美の肯定、それを生の第一義とする魔神崇拝的な雰囲気、ということになろうか。
ワーグナーの音楽はそうした汎エローティシュな土台の上に立っているし、マンの文学も、イロニーやフモールによって知的に緩和されているにしても、本質的には『ヴェニスに死す』で見られるごとき官能的頽廃を秘めている。その内的関連はたとえばヴィスコンティ監督が『ヴェニスに死す』を映画化しているが、同じ角度から「地獄に堕ちた勇者ども」を作っていることからも推測できる。後者においてヴィスコンティは死と官能美に魅せられたナチス・ドイツの本質をまざまざと描いているが、それこそは前者、つまり「ベニスに死す」を濃厚に覆っている雰囲気でもあるのだ。
「魔神の棲み家で」
~「辻邦生全集19」(新潮社)P27
個人的には汎エローティシュな性質は年齢を重ねるごとに削ぎ落されていったように思えるが、ワーグナーの音楽に官能的頽廃が秘められているのは間違いない事実だろうと思う。おそらくもう少し彼に時間があり、「パルジファル」に続く作品が創造されていたなら、もっと始原に近づいた、より宇宙規模の、強いて言うなら「万法帰一」的な舞台芸綜合芸術が生み出されていたことだろうと想像する。
マンも「パルジファル」の中で、官能的頽廃を超えたワーグナーが在ることを指摘する。
しかし、あのもう一方の真面目、たとえば、真理探究者の、思想家の、告白者リヒャルト・ワーグナーの真面目はどのように考えられるべきなのか? 彼の晩年の禁欲的・キリスト教的観念や教義、言葉のあらゆる意味における《肉の享楽》を抑制することで聖化するというこの晩餐の哲学によって—その〈表現〉が作品『パルジファル』であるところのこれらの志向と認識によって、『パルジファル』そのものによって—、明らかにワーグナーの若き日の官能革命主義—これによって『ジークフリート』の雰囲気と志向内容とが形成されるのではあるが—は根底から否認され、削除され、破棄される。官能革命主義はもはや存在しない、もはや存在することが許されないのである。もし芸術家が精神的意味において後年の新しい、しかもおそらく決定的な真実に忠実であれば、それ以前の作品は、それが誤りで罪深く有害なものと認められたから、否認され、抹殺され、救いのさまたげになるそれらの作品の影響に人類を決して再びさらさないために、作者自らの手で焼却されねばならないであろう。しかし彼にはそんなことは念頭にない。事実、そんなことを思いつきさえしない! 誰がこんな見事な諸作品を破壊しようと思うのか? すべてが相並んで存続し、上演しつづけられる、というのも芸術家というものは自分の伝記を崇めるからである。彼はそのときどきの年齢のさまざまな心理的気分に身をゆだね、それを互いに精神的に矛盾はすれどすべてが立派で保存に値する作品のなかに表現する。
「リヒャルト・ワーグナーの苦悩と偉大さ」(1933年4月)
~トーマス・マン/小塚敏夫訳「ワーグナーと現代(第2版)」(みすず書房)P106-107
「煩悩即菩提」という言葉が思い浮かぶ。
泥沼の中にあっていかに悟りを得るのか。マンにはそのこと、宇宙の真理そのものがわかっていたのだろうと思う。
トーマス・マンが息を引き取った4日後、バイロイト祝祭劇場では「パルジファル」が上演された。
遂に陽の目を見た、1955年バイロイト音楽祭におけるハンス・クナッパーツブッシュの「パルジファル」!!
これまでバイロイトにおけるクナッパーツブッシュの録音はすべて聞き尽くしてきたが、最後の最後にこれほど素晴らしい「パルジファル」が聴けるとは思ってもみなかった。古い録音にもかかわらず生々しさは随一で、第1幕前奏曲から4時間超、一気に聴いても一切の疲れがなく、むしろ極度の集中力をもって音楽に臨めることが奇蹟的といっても言い過ぎではない。
この録音の凄さは第3幕に集約されるのではなかろうか。
(特にマイクのセッティングの関係か、音のバランスを欠くが、かえってそのことが物語のクライマックスに相応しい)第3幕、グルネマンツによる「真昼となりました。刻限です—さあ、しもべが御案内つかまつりましょう」(場面転換)以後の、徐々に大きくなる鐘の音の(異様な?)音量と音響に、世界が文字通り180度転換されたことを思い知る。
「第1幕と同様」の場面転換ではあるが、そこには大きな違いが認められる。森が消えて現われる岸壁に開いた「丸天井の高い歩廊」は、聖なる空間へと再生するための(「胎内潜り」にも似た)死を象徴する暗黒のトンネル。第1幕では、この歩廊を通ってゆくパルジファルとグルネマンツの姿が最後まで観客に見えている。二人は再生を果たしきれぬまま、たんなる空間移動によって愛餐の儀式に臨んだことになる。これに対して第3幕では、パルジファル、グルネマンツ、クンドリの姿をのみ込んだまま「歩廊は闇に閉ざされて見えなく」なる。そして「いつの間にか騎士たちのあいだに姿を現わしていた」三人が確認されるのは、葬祭がクライマックスを迎えてからのこと。擬似的な死の時間を十分に潜り抜けた三人は、救いを求めて叫ぶアムフォルタスの愁嘆場に再生の身を現わすことになる。
~日本ワーグナー協会監修/三宅幸夫・池上純一編訳「パルジファル」(白水社)P99
生と死はまさに同義。
フィッシャー=ディースカウの歌うアムフォルタスの素晴らしさ。
(臥所の上で起きなおり、遺骸に向かって)
父上!
いと高き祝福に与かりし勇者よ!
その昔、天の御使いも降ったという、けがれなき人よ!
わが身ひとつの死を願った私が
あなたまで死なせてしまうとは。
おお、いまや神の栄光に包まれて
救い主を間近に仰いでおられる父上
どうかお取りなし願いたい、
もしも今日という日に、いまひとたび恵みを垂れ
騎士たちを力づけようと思し召すならば、
主の聖なる血の輝きにより、皆の者には新たな命を
そして私には、これを限りに死を賜わりますように。
死—死ぬことこそ
唯一の救い。
毒に蝕まれた心臓が止まり
忌まわしい傷も、毒も、跡かたなく消えますように!
父上! どうか私に代わって
主にお願いしてください、
救い主よ、わが息子に安息を与えたまえと。
~同上書P101-103
クナッパーツブッシュの「パルジファル」にはいまだ官能的頽廃が秘められる。しかし、「煩悩即菩提」を表現するという意味において(意図せずだろうが)その解釈は正しい。
(その点、真理探究者としてのワーグナーの真面目を体現したのはヘルベルト・ケーゲルだろうと僕は思う)
1955年のバイロイト音楽祭はとても熱かった。
「パルジファル」を最後にワーグナーは筆を擱かざるを得なかった。
もし彼に余命が与えられていたなら、この後の作品はどんな展開をしていったのか、想像するのもまた楽しいことだ。