カペー弦楽四重奏団 ドビュッシー 弦楽四重奏曲ト短調作品10(1928.6.12録音)ほか

全体を明確にイメージするのが監督の仕事だ。
細かい演技は俳優次第。
ほとんど即興ともいえる手法で、ルキノ・ヴィスコンティは傑作を創出していった。
ヴィスコンティは語る。

撮影を始める時、私は映画の全体図をそれこそ1ミリメートルに至るまで頭に入れている。朝、セットに着いたときには、シーンにどんな展開を与えることになるのか、自分の俳優とカメラをどう動かすはずかを正確に知っている。これぞというときに俳優たちに演技を指せるのだがシーンを完璧にするのに役立つような示唆はすべて、俳優たちの存在から引き出す。例えば、マストロヤンニとマリア・シェルを使ってあるシーンを撮らなければならないとしよう。その瞬間にふたりが現われるその現われ方、自分たちに関係あるシークェンスを展開させ、口にするときのそのやり方—こうしたものが具体的に、私がどう画面を完成すべきかを教えてくれるのだ。私としてはあらかじめ予見することはできないし、できたとしても差し控えるだろう。私が予見するのは全体だけで、小さな細かいところは予見したくない。というのも、それは原料である俳優しか私に示唆できないものだからだ。
映画には常にこの即興という印象がなくてはいけない。私にいわせれば、そこにこそ演劇と映画のもうひとつの相違点がある。映画というのは存在していない。俳優たちがセットに入った高揚した瞬間に、できるだけ考え出さなければならない。チェーホフの台本はやはり・・・チェーホフの台本だ。私の書いた、あるいは仲間と一緒に書いた台本は所詮、常に変更されるほかないものだ。また一方で、私としてはあまりに“完成された”演出には我慢がならない。演出はあくまで計画でなければならないし、これはその後、一般的な考えや導きの系といったものに従って、私自身の中で磨きをかけ、発展させるものだ。

(「ラ・ターブル・ロンド」特別号、1960年5月)
ブック・シネマテーク4「ヴィスコンティ集成」(フィルムアート社)P27-28

映画は生き物だとヴィスコンティは言うのだろうか。
そしてまた、台本は所詮台本であると言い切るヴィスコンティの思想には説得力がある。
晩年、ヴィスコンティは、マルセル・プルースト原作の「失われた時を求めて」やトーマス・マン原作の「魔の山」の映画化を模索・計画していたという。

空想とか、第六感とか、そういうものが、実現したり、的中したりするのは、じつにふしぎな気がする。はじめはつかみどころがなかった遠いもやもやのなかから、ちらっとしたものが光ったり、びくっとした手ごたえがあったりして、だんだん視野に、掌中に、たぐりよせられ、そのものが確実になり、ついに現実化される。はじめが夢のような話であれば、それだけよろこびは大きいわけである。
ここに突如として、われわれのまえに、現実の姿をあらわした、幻のヴィスコンティ・シナリオ、邦訳『失われた時を求めて』は、私にとって、まったく、上記のような感慨にぴったりの、驚愕の本なのだ。

井上究一郎「邦訳シナリオに寄せて」
大條成昭訳「ヴィスコンティ=プルースト シナリオ『失われた時を求めて』」(筑摩書房)i

40年ほど前に、ついに陽の目を見たヴィスコンティ版「失われた時を求めて」に当時の映画愛好家たちは狂喜乱舞した。フランス文学研究者の井上究一郎ですら「驚愕の本」とまで書いている。
しかしながら、ヴィスコンティの言を借りるなら、そこには魂はないのではないか。心のない、形骸に過ぎないのである。

ただし、残された台本を読みながら空想するのは後世の僕たちの勝手だ。
シーンを思い描き、そこに音楽を付し、原作に近い形で映画化を進めようとしたヴィスコンティの想念を、完璧にではなく、完全に自己流にアレンジできることがある種「道楽」なのだ。

ティボー コルトー フォーレ ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調(1927.6録音)ほか

小説中の音楽家ヴァントゥイユはガブリエル・フォーレをモデルにしているとも言われるが・・・、果して僕ならどんな音楽を付けるだろう?
一つはドビュッシーやラヴェルの弦楽四重奏曲だ。
しかも、(プルーストが愛し、彼が自宅に招いて目の前で演奏させた)リュシアン・カペー率いるカペー弦楽四重奏団による古い録音だ。

・ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調(1902-3)(1928.6.15-19録音)
・ドビュッシー:弦楽四重奏曲ト短調作品10(1893)(1928.6.12録音)
・シューマン:弦楽四重奏曲第1番イ短調作品41-1(1842)(1928.10.3録音)
カペー弦楽四重奏団
ルイ=リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドゥロベール(チェロ)

夢見るようなカペー弦楽四重奏団の、奇を衒わない、幻想的な演奏に、これぞラヴェルであり、またドビュッシーの真髄だと納得する。すべてがあまりに美しい。

シーン・88 1916年。パリの街。戸外。昼。冬。
夜に代って、鉛色の暁け方が訪れる。戦争中の、パリのいくつかのイメージ。朝早くの青白い光が、色彩をぼやけさせる。古い写真を見るような感じ。
閉館されたルーブル美術館の門の前に、積まれた土のう。
店の前に、行列をつくっている人々(その大部分は女性か老人である)。
傷痍軍人のための“お茶と催し物”、慈善興業の広告ポスター。
市場の近くに設けられた赤十字のテント。看護婦たちが、被災者たちのために、募金を行なっている。
道を歩く女たち。服装は変っている。服は短くなり、くるぶしの上まである深い靴に、ラシャ布のゲートル。固いターバン帽。

~同上書P172

ここにはまだ俳優はいない。
実際、このシーンが映画になったとき、どんな具象が眼前に見えるのだろうか。
何ということのない風景に、ヴィスコンティの息がかかったとき、世界は一気に有機的になるのだろう。そこに音楽は欠かせない。

私は、芸術家はその作品にとりかかる素材を無意識の追憶にこそ求めるべきだと考えます。なによりも、そのような追憶は無意識であるが故に、おのずから形成されるものであり、同じような経験を重ねることで、更に豊かさを増し、真実味を帯びて来るものなので。そして、そのような追憶は、記憶と忘却が入り混じった状態で、あらゆるものを、私たちにもたらしてくれます。そして最終的に、全く異なった情況で、その追憶を味わうことになるのですから、偶発的なこととは全く関係なく、時間を越えた純粋な存在価値を私たちに与えてくれることになるのです」
(マルセル・プルーストの、アントワーヌ・ビベスコ宛書簡)
~同上書P191-192

ルキノ・ヴィスコンティが残した映画にもすべて通ず。

カペー弦楽四重奏団 ラヴェル、ドビュッシー(1928.6録音)ほかを聴いて思ふ

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