
あらえびすをして「一種の哲学的な悟入を思わしむる、不思議な深遠さを持つ」と言わしめたブラームスの交響曲第4番ホ短調作品98。
「悟入」とは言い過ぎのような気もするが、「不思議な深遠さ」を持つ作品には違いない。
相変わらずテンポの伸縮激しく、19世紀的浪漫を醸す音。ウィレム・メンゲルベルクがコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した1938年録音の、たった今目の前で演奏されているかのような生き生きとした音。ブラームスの音楽が生きて、踊る。
音と色。
この全く違ったものがつながり、交錯した世界—例えばシンフォニーを聞いていると間断なく織りなすこれらの空間のなかに強烈な光、暗黒の闇、時にかすかな光、光の縞、ミドリの縞、ムラサキの縞、線そして点、サクレツ、飛翔、落下、停止・・・その展開はほとんどとどまるところを知らない。その構築された律動。この複雑で幽玄な世界をより直接的に言葉という実用文字を使わずに訴えることのできる世界。全身でうけとめることのできる衝撃。
(利根山光人「色彩と音楽」)
~辻邦生編「絵と音の対話」(音楽之友社)P71
なるほど、80年以上前の録音であるにもかかわらず、メンゲルベルクのブラームスに色香を感じるのは、もちろん彼の楽曲解釈とオーケストラからフレーズを引き出す妙味からだ。何より作曲者の心の原風景を天然色で描く見事な技。特に、終楽章パッサカリアの、フルトヴェングラーに優るとも劣らぬパッションとエネルギーに感無量。
ボロディンの何でもない描写音楽が、メンゲルベルクの手にかかると恐るべき濃密な音楽に変貌する。それでいて、ポピュラーさは決して失われない。そして、ナチス・ドイツが破竹の勢いでヨーロッパ中を侵攻、席巻していた時期に録音されたチャイコフスキーの「1812年」序曲は雄渾極まりなく、気のせいかその歴史を称えんとせんばかりの力が漲る(過去ではなく現在進行形であったのだからもちろんそれも仕方のないことだが)。
ちなみに、あらえびすはこの作品について次のように書く。
少しくアメリカの成金好みだが、「ラ・マルセイエーズ」と「神、爾の民を護れ」とフランス、ロシアの国家が絡み合うと言ったケレンが一般に受けるのであろう。
~あらえびす「クラシック名盤楽聖物語」(河出書房新社)P244-245
確かにハッタリがチャイコフスキーの狙いどころだったのだろうが、メンゲルベルクの演奏には今や不思議な真実味が感じられるのだから興味深い。名演だ。
[…] よって随分遅くしたり、速くしたりして演奏した時代もあったんじゃないかな。メンゲルベルクのレコードを聴いたことあるんですよ。びっくりする程、各変奏ごとにテンポが違うんで […]