マルセル・プルーストの大作「失われた時を求めて」の中で描かれる「ヴァントゥイユのヴァイオリン・ソナタ」は架空の作品だ。プルーストのこの楽曲にまつわる表現はそれが空想の音楽とは思えないほど詳細を極めており、昔からこの作品が誰の作品をモデルにしているのか議論されてきた。
(ガブリエル・フォーレのそれを参考にしたのだとかサン=サーンスのそれだとか諸説あるが、個人的にはフォーレのヴァイオリン・ソナタを推したい)
もしピアニストが『ワルキューレ』の騎行のところか『トリスタン』の序曲を弾こうとすると、ヴェルデュラン夫人が抗議する。この音楽が気に入らないからではなく、反対にあまり印象が強烈すぎるからだ。「それじゃ、どうしてもわたしに偏頭痛を起こさせようとお思いになる? ご存じでしょう、あの人がこれを弾くたんびに、いつも同じことになるんですから。分かってますわ、わたしがどうなってしまうか。明日の朝起きようとしますでしょ? でもだめ、はいさようならよ」
第二部「スワンの恋」
~マルセル・プルースト/鈴木道彦訳「失われた時を求めて2」第一篇・スワン家の方へII(集英社文庫ヘリテージシリーズ)P19
ワーグナーにも心酔していたプルーストならではの逆説的描写が素敵。
(このピアニストがスワンに、彼が恋をしたある楽曲の正体を教えてくれるのだ)
その前の年、彼はさる夜会で、ピアノとヴァイオリンで演奏されたある音楽を聴いたことがあった。はじめのうちは、楽器が作り出す音の物質的特徴しか味わえなかった。そしてヴァイオリンの、細く、手ごたえのある、密度の高い、曲をリードしてゆくような小さな線の下から、突然ピアノのパートが、巨大な波となって打ち寄せ、さまざまに形を変えながら、しかしひとつながりになって、平らに広がり、たがいにぶつかりあい、まるで月光に魅せられて変調した波が薄紫色にたち騒ぐようにわき上がってこようとしているのを見たとき、それだけでもうすでに大きな快感を覚えた。
~同上書P60-61
こういう経験は誰にでもあろう。そういう僕も、少年の頃、どこかで聴いた懐かしい響きの音楽のことが今でも忘れられない(その旋律に関しては年月とともに記憶が随分と薄れてしまった。AI時代の今、音楽を聴かせればそれが誰の何という音楽か大抵充てられるのだろうけれど)。
けれどもある瞬間から、自分を喜ばせるものの輪郭をはっきり識別もできず、それに名前を与えることもできなかったのに、突然魅惑されてしまい、まるで夕べの湿った空気のなかにただようある種の薔薇の香りが鼻孔をふくらませる特性を持っているように、通りがかりに彼の魂をいっそう広く開いていったその楽節ないしはそのハーモニーを—彼にもそれがなんだか分からなかったが—拾いあげようとしていた。ことによると、彼はこの音楽を知らなかったからこそ、これほど混乱した印象を持ったのかもしれないが、にもかかわらず、それはおそらく純粋に音楽的な唯一の印象、物質的な広がりを持たない、完全に独創的な、ほかのどんな種類の印象にも還元されない印象の一つだった。
~同上書P61
嗚呼、それにしても何と美しい描写であり、自身への内省であろうか(メタ認知力抜群)。
ゆったりしたリズムで、楽節はスワンを導き、まずここに、ついでにあちらに、さらにまた別のところにと、気高く、理解を超えた、しかも明確な幸福に向って進んでいった。そして突然、それが到達していた地点、そこからさらに楽節に従ってゆこうとスワンが身構えていた地点で、しばし休止した後に、急に方向を変え、新たにもっと速く、細かく、憂わしげな、とぎれのない、またやさしい動きで、未知の目標に向かってスワンを引きずっていった。それから楽節は姿を消した。
~同上書P63
文章からその音楽を想像するだけでワクワクする。文字通りスワンは恋に陥った。
ところでヴェルデュラン夫人のところで、例の若いピアニストが弾きはじめてから、ものの数分とたたないうちに、突然スワンは、二小節にわたって一つの高い音がずっとつづいた後に、そこで潜んでいるものの秘密を守るために音のカーテンを長く張りめぐらしたようなこの響きの下から逃れ出て、自分に近づいてくるものを見た。彼は認めた、ひそかな、ざわめいている、分割されたもの、空気のように軽やかで香り高い、彼の愛したあの楽節を。それはきわめて特殊なもので、ごく個性的な魅力を備えており、何ものもそれにとってかわることはできそうもなかったので、スワンはまるで、道で出会ってすっかり惹きつけられてしまった女、もう二度とめぐり会えないだろうとあきらめていた女に、親しくしているサロンで不意に顔を合わせたような思いだった。とうとうしまいにその女は、先導するように、すばやく、よい香りをあたりにただよわせながら、スワンの顔にその微笑の反映を残して遠ざかった。けれども今やスワンは、この未知の女の名前をたずねることができたのである(それはヴァントゥイユの『ピアノとヴァイオリンのためのソナタ』のなかのアンダンテの部分だということだった)。彼はその女をしっかりととらえた、これからは好きなだけ何度でも彼女をわが家に呼び寄せて、その言葉、その秘密を、知ろうとつとめることもできるのだ。
~同上書P66-67
この感覚!
鮮烈な、二度と出会えないと思っていた音楽に出会えたときの感動は言葉に言い表せるものではない。
少年の頃、繰り返し聴いた東芝エンジェルのGRシリーズからの1枚。
フォーレのソナタは数多のヴァイオリニストが録音するが、ほぼ1世紀前のティボー&コルトーによるいぶし銀の演奏を上回るものはないと個人的に思う。
(もちろんそれは刷り込みだろうが)
第2楽章アンダンテこそ、スワンが恋した楽節を持つであろう永遠の名曲であり、名演奏だ。
1922年11月18日、マルセル・プルースト没。享年51。