カペー弦楽四重奏団 ラヴェル、ドビュッシー(1928.6録音)ほかを聴いて思ふ

今日の夕刊から。

谷川俊太郎「音楽の切れ端」
三小節にも満たない
その短いピアノの音の連なりが
世界を定義した
言葉にすると
世界は小さく卑しいものに
縮んでしまうと分かっていたから
音だけを繰り返し心に留めた

(2019年6月5日水曜日朝日新聞夕刊)

谷川さんは、SPレコードの時代から音楽鑑賞を趣味とし、「切れ切れに聴くのがクセになって感動したフレーズを繰り返し聴いてきた」とおっしゃる。古き良き時代の、音盤が貴重だった時代の、とても素敵な「クセ」だと思う。

「音楽というものは音符のなかにはない、音符と音符のあいだにこそあるのだ」クロード・ドビュッシーは言ったという。音の行間にこそ真の音楽が存在するのだと彼は言うのである。
古ぼけた録音、実にか弱い音であるにもかかわらず、激しくいななき、怒涛のように迫り、その音楽には力がある。録音から90余年も経過するのに何という生命力なのだろう。リュシアン・カペー率いるカペー弦楽四重奏団(カペーの突然の死によってその活動に終止符を打たざるを得なかった稀代のカルテット!)によるラヴェルとドビュッシー。

・ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調(1902-3)(1928.6.15-19録音)
・ドビュッシー:弦楽四重奏曲ト短調作品10(1893)(1928.6.12録音)
・シューマン:弦楽四重奏曲第1番イ短調作品41-1(1842)(1928.10.3録音)
カペー弦楽四重奏団
ルイ=リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドゥロベール(チェロ)

1928年12月18日のカペーの急逝により、残された録音はわずかに12曲。しかも、各々が一発録り、せいぜい2回のテイクで収録されたというのだから、ほぼライヴに等しい演奏だということになる。音程の不安定さは、良く言えば幻想的な味わいを喚起し、少々の瑕は音楽に一層の情感を付与する。

ちなみに、ドビュッシーを規範にしたモーリス・ラヴェルの唯一の四重奏曲は、本人にとっては納得のゆくものではなかったようだが、このカペーの演奏は、例えば第1楽章アレグロ・モデラート—トレ・ドゥーから妖艶なポルタメント奏法に感応し、頂点に向けクレッシェンドする、そのほとばしる熱気に言葉を失うほど。第2楽章アッセ・ヴィフ―トレ・リトメ第1主題の明るい生気と第2主題の暗い抒情の対比が見事。続く(揺れる)第3楽章トレ・ランはカペー四重奏団の真骨頂(チェロの深遠な重低音に心打たれる)。そして、終楽章ヴィフ・エ・アジテ冒頭の、強烈な阿鼻叫喚と第1楽章の再現のような音調に懐かしさを覚える。

その上、クロード・ドビュッシーの四重奏曲、中でも第3楽章アンダンティーノ,ドゥースマン・エクスプレシフの、静けさと恍惚の表情に感動。

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