ライプツィヒ中部ドイツ放送合唱団 アバド指揮ベルリン・フィル ブラームス 合唱と管弦楽のための「運命の歌」作品54ほか(1993.2Live)

1992年、アバドはかねてからのアイディアを恐る恐る実行に移した。プロメテウスという人物を全体のコンセプトの中心とした、試験的プロジェクトである。ベートーヴェンの《プロメテウスの創造物》、リストの《プロメテウス》、スクリャービンの《プロメテ—焔の詩》、最後にルイジ・ノーノの音楽劇《プロメテオ》からの組曲などがそろった。
ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝」(春秋社)P373

ベルリン・フィルのシェフに就任したクラウディオ・アバドは就任直後から様々な挑戦をした。試験的プロジェクトなど僕はとても興味深い試みだと思ったが、どうにも行き過ぎた感があったようで、結果的に聴衆から受け入れられなくなり、頓挫することになった。

音楽がコミュニケーションの手段の一つであることを忘れてはならない。
どんなに斬新な企画であっても、続けることができなければ意味がないのだ。

1年後、今度は、ヘルダーリンの詩に触発された、最初の包括的な音楽チクルスができる。ブラームスの《運命の歌》でもってアバドは、「プロメテウス」と「ヘルダーリン」を関連づけたのだ。ブルーノ・マデルナの《ヘルダーリンのテキストによるハイペリオン》、ノーノの弦楽四重奏《断片—静寂、ディオティーマへ》、ヘンツェの《〈やさしい青〉の賛歌を主題にした室内楽曲第58番》(テノール、ギターと古典八重奏のための)、クルタークの《森で—ヘルダーリンに捧げる。断片》。リヒャルト・シュトラウスの《フリードリヒ・ヘルダーリンによる3つの賛歌》、レーガーの《希望に》(アルトとオーケストラのための)、リームの《ヘルダーリン—断片》、リゲティの《ヘルダーリンによる3つのファンタジー》など。一つのテーマは、全シーズンにわたる。時にそれが2シーズン以上にわたることもある。
~同上書P373

一過性のものなら受け入れやすいものも、それが続くとなると押しつけになりかねない。
やはり「度が過ぎれば逆効果」なのである。

しかし結局、このチクルスは、文化活動への推進力をもたらすには至らなかった。—「文化的運動」にもならなかった。「ツァイト」誌のクラウス・シュパーンは「ミラノ出身の洗練された精神の持ち主が、実にざっくばらんな気質のベルリン市民と理解し合えるのか?」と疑問視する。
聴衆の大部分は、アバドのテーマ作りを、少し教育的すぎるし、複雑すぎる、あまりに広大な歴史に入り込みすぎる、現代音楽にも手を広げすぎる・・・と感じた。しかも、伝統的なジルベスター・コンサートにまでテーマを設けても、客は十分に入らない。

~同上書P375

何事も「足さず、引かず」、それこそ中庸が大事だが、人間の意志が強ければ強いほどバランスを欠いてしまうもの。アバドが陥ったことは、「過ぎた」ことだった。

しかしながら、1回の試みととらえるなら、しかも、それほど複雑なコンセプトでなく、単純なものなら面白い企画だと僕などは考える。
古今東西、世界の音楽家たちが魅入られ、音楽を付そうとしたヘルダーリンの詩に崇敬な思いを馳せる、たったそれだけで十分だったのではなかろうか。

詩人フリードリヒ・ヘルダーリンに触発された音楽
・ブラームス:合唱と管弦楽のための「運命の歌」作品54
・リヒャルト・シュトラウス:ソプラノと管弦楽のための「3つの讃歌」作品71
・レーガー:ソプラノと管弦楽のための「希望に寄す」作品124
・リーム:バリトンと管弦楽のための「ヘルダーリン断章」(1977年版)
カリタ・マッティラ(ソプラノ)
ヨハネス・M・ケスターズ(バリトン)
ライプツィヒ中部ドイツ放送合唱団(ゲルト・フリッシュムート合唱指揮)
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1993.2.26-28Live)

アバドの創り出す音楽は端正であり、また実に高尚だ。
「上善は水の如し」という言葉があるが、あくまで個人的な印象として、水のような清澄さと柔らかさが特長だ。

願わくばマデルナもリゲティも聴いてみたかったところだが(果たして音源はリリースされているのかどうか、不勉強で知らない)、本アルバムには収録されていない。

兎にも角にもブラームスが最美。
アバドのブラームスは、交響曲も管弦楽曲ももちろん素晴らしいが、この「運命の歌」は絶品。

しかし我らの運命は
いずこにも休らわぬこと。
苦しむ人間は
消える 亡びる
見境もなく 一刻から
また一刻へ
さながら水が岩から
岩へ打ちやられ
はては有耶無耶の際へ落ち入るように。

川村二郎訳「ヘルダーリン詩集」(岩波文庫)P29

人間生活の負(迷い)の側面を赤裸々に見つめた詩はヘルダーリンの心。

1795年春、最初の職を辞した後2度目の就職のために、フランクフルトの銀行家ゴンタルトの邸に入る。そして間もなく、ゴンタルトの妻であり教え子の母であるズゼッテとの交情が生じる。家庭教師が教え子の親と親密な関係を結ぶのは、いつどこでも起こりがちなことだろうし、それ自体は純愛と持ち上げるにも醜聞とさげすむにも当らない。ここで肝腎なことは、この愛をきっかけにしてヘルダーリンの詩作に一種化学反応めいた変化が現れたということである。
~同上書P265

アバド指揮ベルリン・フィルの「詩人ヘルダーリンに触発された音楽」(1993.2Live)を聴いて思ふ アバド指揮ベルリン・フィルの「詩人ヘルダーリンに触発された音楽」(1993.2Live)を聴いて思ふ

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