
シューベルト最晩年の、最後の弦楽四重奏曲は1826年6月に完成された。
29歳のときの作品だが、この、大人びた、というか、完璧な書法に準拠した傑作に、モーツァルト同様彼が31歳で夭折しなければならなかったことがとても腑に落ちる。
ベートーヴェンとはまた違った意味で独創的で、息の長い旋律はやはり歌曲的であり、どの瞬間をとっても身震いするほど美しい。
最晩年のシューベルトの音楽は孤高だ。
だからこそすべての楽章に集中し、一人静かに耳を傾けるべし。
シューベルトといえばマイナー・ポエットの印象が強い。ベートーヴェンというグレート・ポエットすなわち文字通りの巨星の近く、けなげに輝く小さな星、さらにいえば太陽に対するに月という印象である。ベートーヴェンは男性的でシューベルトは女性的という、両者没後の漠とした受け取り方がこの印象のもとになったとも思われる。あるいは両者生前からそうだったと言うべきかもしれない。
ベートーヴェンは1827年に56歳で、シューベルトは1828年に31歳で亡くなったが、前者はほとんど国葬風に扱われたのに対して後者はそうではなかった。音楽事典で有名なグローヴの、広く読まれた伝記記事にしても—シューベルトの愛情の深さは別として—、そういう世間一般の常識に沿っているという印象は拭いがたい。ベートーヴェンは交響曲で勝負したが、シューベルトは歌曲で勝負した。要求する演奏会場のスケールが違うではないか、というようなものだ。
三浦雅士「実存主義者シューベルト」
~梅津時比古「ざわめく菩提樹 シューベルト研究I」(春秋社)P582-583
兎角に人は評価し、判断し、レッテルを貼りたがるものだ。
シューベルトだって交響曲を書き、大いに勝負したではないか、とさえ思う。
それにしても、ベートーヴェンとシューベルトではそもそも比較にならないと今の僕は思う。彼らの同ジャンルの作品の核はまったく異なるものだ。
(その意味では一方は交響曲的なものを、もう一方は歌曲的なものを核にしたといえるだろうが)
ベートーヴェンが浪漫を超えて一気に前衛に走ったのに対し(?)、シューベルトは浪漫への足掛かりを一層強固にした。たぶんそれは、まだ彼が随分若かったからだろう。
特に初期のアルバン・ベルク四重奏団は、若々しく、生命力に富む音楽を奏でる。
まるで目の前で彼らが、そしてたった今音楽が生み出されているかのような錯覚に陥るほど(?)現実的だ。
夢か現か・・・。
確かにそれは夢でもあり、また現実でもある。
200年前、フランツ・シューベルトは確かに生きていた。
アルバン・ベルク四重奏団のシューベルト弦楽四重奏曲第15番(1979.12録音)を聴いて思ふ
