フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」(1938.10録音)

久しぶりに聴いたフルトヴェングラーの「悲愴」交響曲はすごかった。
90年近く前の録音であるにもかかわらず、その魔力に金縛りに遭った。
昔から、定評あるメンゲルベルクの録音より僕はこちらに刺激をもらっていた。確かに繰り返し聴いた回数もフルトヴェングラーの方が圧倒的に多かったと思う。
音楽の流れが(恣意的なメンゲルベルクに対して)「自然」だからだ。
(もちろんトスカニーニよりも僕はフルトヴェングラーを採る)

メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管 チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」(1937.12録音)ほか トスカニーニ指揮NBC響 チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」(1947.11.24録音)ほか

「交響曲第6番ロ短調=悲愴(作品74)」はチャイコフスキー畢生の大傑作で、これが完成後間もなく死んだ為に、「死の予感」だとも言われて居る。非常に感傷的で、絶望的な悲哀感が全曲に漲る。コロムビアに入っているフルトヴェングラーがベルリン・フィルハーモニック管絃団を指揮したレコードが名盤で、慟哭的な悲愴美が、背に迫るものを感ずる。最近のではトスカニーニが指揮したのが録音され、此れは情熱的な名演奏だ。この辺のレコードはいずれをいずれとも言い難いだろう。長時間にはカラヤンがウィーン・フィルハーモニーを指揮したのがコロムビアにあり、これも名演奏だと言える。同じく長時間でオルマンディのは最も新しく、録音が優れている。外国ではこのほかにミュンク、ロジンスキーなどが入れている。
あらえびす「クラシック名盤楽聖物語」(河出書房新社)P244

あらえびすの評は実に的を射ている。
(それにしてもメンゲルベルクに言及していないのが不思議でならない)

ロシア的憂愁感もさることながら、ドイツ的重厚さを備えたフルトヴェングラーの「悲愴」は、第1楽章を頂点とし、終楽章においてすべてを昇華する「形」がいかにもマーラー的だが、むしろそれはマーラーがチャイコフスキーの方法を真似たのだといえる。
そう考えると、フルトヴェングラーがマーラーの第九の録音を残しておいてくれたらさぞかし素晴らしい名演奏になったのではないかと想像できる。
(あらえびすの指摘通り「慟哭の悲愴美」に釘付けだ)

・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1938.10.25&27録音)

一切の無駄のない、孤高の「悲愴」交響曲。
(ムラヴィンスキーの方法とはまったく異なる異次元の演奏だと言えまいか)

ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」(1960.11録音)

芸術家の生とは、創作にはげみ、それぞれの作品に「有限の」有機的な形成を通して「無限の」創造的な自然を盛りこむことにほかならない。彼が必要とするものは一方では「全体」の直観という恵みであり、他方では、この直観を生き生きと血の通った現在のなかに引きこみ、それを作品の現実のうちに呪縛する強靭な力である。ところで個々の作品の芸術的な直観に対して、さらには直観の実現、いな直観の具象化を求める真正なる芸術家の熱狂的な努力に対して、科学的思考はわずかな興味しか示さない。なぜなら科学的思考は個々の事象にはまったく関わり合わず、ひたすら多様な個別現象に見られる相関的なもの、典型的なものを追求するからである。この思考よりすれば、芸術的形成とはややもすれば仮象の過大評価、純感覚的な生命の外面へのとらわれに堕しがちであるとされる。芸術家は、個別現象の克服という常に新しい課題から自己を遠ざける一切のものを悪疫のように避けねばならぬ。芸術家に言わすれば、この誘惑とは「馴れ」にほかならない。これに対して、個々の事象を結合するものこそ科学的思考の目標であり、成果である。それは、ここでは誘惑であると同時に、まさしく義務でもある。人々はこれを「方法」と名づける。
「偉大さはすべて単純である」(1954年)
フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音と言葉」(白水社)P269

方法に堕することなく、あくまで直観を以て即興的に創造していくものこそが真の芸術であると最晩年のフルトヴェングラーは書く。それは「単純」でありまた「完結」であるがゆえに成し遂げられることなのだと思う。

(とどのつまりは)「無為にして為さざるはなし」。
この境地の一端を体得したであろうフルトヴェングラーならではの箴言だ。

フルトヴェングラー指揮RAIトリノ放送響 チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調作品64(1952.6.6Live) フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調作品36ほか(1951.1録音) フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル チャイコフスキー 弦楽セレナーデ ハ長調作品48(抜粋)(1950.2.2録音)ほか フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのモーツァルト&チャイコフスキーを聴いて思ふ フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのモーツァルト&チャイコフスキーを聴いて思ふ

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