
楽想が泉のように湧き出て収拾がつかなかったのかも。
あるいは注意力散漫で、一つの仕事に集中することができなかったのかも。
果たしてモーツァルト同様、人間的には問題がかなりあった人なのかもしれない。
中途半端で残された数多の作品群。
それぞれに素晴らしい旋律の宝庫であり、これらが正しく完成されていたならこの人の評価は一層高いものになっていたのかも。
「家庭争議。父のもとで作曲。検閲済み。宮廷歌劇場での上演は認可」と書かれた日付のない自筆のメモが残っており、タイトルが「家庭争議」と変えられて検閲の許可が下りていたことがわかる。シューベルトは上演の可能性を信じて作曲を急いだ。しかし、序曲を完成しないまま作曲を打ち切ってしまった。こういう中途半端なことをするから、上演の許可が下りていたにもかかわらず、このジングシュピールも生前には公開の上演はされなかったのだ。
~井形ちづる著「シューベルトのオペラ オペラ作曲家としての生涯と作品」(水曜社)P189-190
音楽は、録音を聴く限りにおいて明朗かつ旋律に富み、美しい。
しかしながら、最晩年の、あるいは一般的にも有名な彼の作品を聴いてきた耳からすると、あえて取り立てて云々するほどの「何か」はない。
シューベルトは飽きっぽかったのだろうか。
完成作品は、相応に筆を進めた結果であり、自作でありながら未完成のものについては(ひょっとするとお金を稼ぐためだけの手段であって)大して未練もなかったのかもしれない。
1幕の歌劇「共謀者たち」は、シューベルト没後幾度も再演されて、19世紀にはそれなりの人気を誇ったようだが、今となってはなくもがな。
十字軍遠征から夫たちが帰ってきた際、妻たちが夫の勝手な振る舞いに腹を立て、セックスを禁止するという「家庭内謀反」を起こすコメディ。単純で明快な物語の筋が人気の秘密だったようだが、やはり音楽的には特にみるべきものはない。
ただし、さすがにクルト・モル扮する伯爵の歌唱はいずれも素晴らしい。
若きモルの低くも透明な声質が、オペラに華を添える。
フィナーレは、騎士たちが夫人に敬意を表し、「戦争ごっこは止めよう、本当は女性群の陰謀はわかっていたのだ」と説明し、これからは故郷に留まると宣言する。
やはり女性の最大の武器は愛と優しさだという合唱で幕となる。
~同上書P194
男と女は別の生き物なのだとつくづく思う。
個性を追う以上、互いにわかり合えることはおそらくない。
しかし、本性そのものは男も女もない。真我に向かうことがやっぱり重要だと思う。
