
フルトヴェングラーにベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の録音が残されていないことは痛恨事。自分には手に負えないということで、巨匠はそもそも指揮する機会をほとんど持たなかったようだが、他の指揮者による数多の歴史的録音を耳にするにつけ、もし残されていれば、と残念な思いでいっぱいになる。
代わりと言っては何だが、今僕の手もとにある録音の中でいち推しは、クレメンス・クラウス指揮ウィーン・フィルによる楽友協会大ホールでの実況録音だ。
時は第二次世界大戦中であり、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツが破竹の勢いで欧州中を侵攻し、国家併合していた時期と重なる。果してクラウスの「ミサ・ソレムニス」に感じられる慟哭の叫びは、悲しみなのか、あるいは喜びなのか。
合唱も独唱陣も、もちろんオーケストラも、渾身の歌唱と演奏を披露する、あまりに激しい「ミサ・ソレムニス」は、数年前のヴィレム・メンゲルベルクによる「マタイ受難曲」の劇性に匹敵するものだ。
一期一会の「ミサ・ソレムニス」。
兎にも角にも一度触れていただきたい。
クレメンス・クラウスがいかにすごい指揮をしたのか。
クラウスの指揮するベートーヴェンが、どれほど素晴らしかったのか。
渾身のグローリアとクレド。
内燃する熱狂は、聴衆をも巻き込んで大いなる火花を散らす。
サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイと進むに及び、色香溢れる、艶やかで瑞々しい音楽に変貌する。この絶妙な手綱弾きこそクラウスの真骨頂。
オーストリアがドイツに支配されていたさなかの1939年、クラウスは再び私たちのもとに帰ってきた。私たちの上層部は、彼に対するかつての不当な仕打ちを贖おうと、クラウスに一連の演奏会を委ねた。こうして1939年から40年の年の変わり目に、ヨハン・シュトラウス・プログラムによる異例のコンサートが実現する。これが、「ニューイヤー・コンサート」の始まりにほかならない。この折クラウスは、いかにも舞踏家を母にもつウィーンっ子らしい、繊細かつ優美なワルツ演奏を披露した。それは、フィルハーモニー・コンサートにも劣らぬ出来であった。
ウィーン・フィルハーモニーとの関係はしばらく途切れたとはいえ、クラウスは歌劇場合唱団とは、常にコンタクトをとり続けていた。同合唱団は1920年代に「ウィーン国立歌劇場合唱団演奏協会」を創設し、ウィーン・フィルハーモニーと同じような形態のコンサートを、自主的に開いていたのである。この合唱団がもっとも頼りにした指揮者が、クラウスだった。1940年11月5日に行われたベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》の演奏には、こうした背景があった。
(オットー・シュトラッサー/鳴海史生訳)
POCG-2628/9ライナーノーツ
誰もが待ちに待った「ミサ・ソレムニス」だったようだ。
クレメンス・クラウスの荘厳ミサ曲(1940.11.5Live)を聴いて思ふ 