ケンプ ベートーヴェン 3つのソナタ作品31(1964.9録音)ほかを聴いて思ふ

ヴィルヘルム・ケンプのベートーヴェンは、いずれの曲も慈しみの光に満ちている。

彼(ベートーヴェン)の刺すようなフォルテは非難され、彼の激昂する感情は叱責され、そして当時のウィーン人の偶像であったヨハン・ネポムック・フンメル―彼は確かに尊敬に値する音楽家ではありましたけれど—がベートーヴェンのとどき得ない模範として比較に出された位です。そしてフンメルの演奏のなめらかさ、音の優雅さの点をベートーヴェンは、ピアニストとして彼に学ぶべきであるとさえ云われました。ベートーヴェンはこれら批評家の忠告に対して手紙を以って返事を書いています。
(ヴィルヘルム・ケンプ「ベートーヴェンのピアノ・ソナタについて」)
PROC-1731/8ライナーノーツ

当時の批評家は作曲者自身の演奏を否定したようだ。
彼のソナタには、もっと柔和な、優雅な音調が必要だと書き立てたのだ。
もしその評が正しいのだとするならば、作曲者自身も成し得なかった表現をケンプが成し遂げたといっても過言ではない。それくらいに、ケンプの弾くベートーヴェンのソナタは優美であり、また、女性性を前面に押し出したもの。ともすると激しさを強調する「テンペスト」ですら(間が抜けるほど)実に柔らかい。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第16番ト長調作品31-1(1964.9.15-18録音)
・ピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト」(1964.9.15-18録音)
・ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調作品31-3(1964.9.15-18録音)
・ピアノ・ソナタ第19番ト短調作品49-1(1964.11.9録音)
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)

作品31の3曲から発せられる癒しの力。
特に誰かに献呈されたわけでもなく(すでに遺書を書こうと決意していたことから、もはや誰かに捧げようという意志さえ削がれていたということか)、中期の崇高で劇的な作品たちの前に現れる可憐な、しかし、革新的な方法は、何より緩徐楽章を持たない、4つの楽章から成っているソナタ変ホ長調に顕著だ。内へ内へとこもるケンプのピアノがまた、ベートーヴェンの小宇宙を見事に体現する。僕は(脱力の)第3楽章メヌエットと(俄然力漲る)終楽章プレスト・コン・フオーコが素晴らしいと思う。

そして、初期の、2つの楽章から成る作品49-1の、少々切ない哀感を帯びた、しかし、繊細で親しみやすい主題を持つ第1楽章アンダンテの憂鬱な表情がとても美しい。ここにも慈愛の光が届く。

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2 COMMENTS

桜成 裕子

このケンプの演奏を聴いてみました。岡本さまがここに書いておられること、大いに納得しました。以前からベートーヴェン弾きとして名高いというケンプを聴く時、どうしてもその向こうにベートーヴェンの像を結ぶことができませんでした。男性的vs女性的、豪放vs繊細、広がりvs深まり、躍動vs鎮静、外向きvs内向き・・・のような対義語を思い浮かべると、ケンプの演奏は後者に属しているように思え、ベートーヴェンに前者のイメージを持っていた私は違和感があったのだと思います。ケンプのよさがわからないのは私が未熟だからだと落ち込みました。ケンプがベートーヴェンの実演を聴いた人々が求めた「演奏の優雅さ」を体現しているとしたら、やはりベートーヴェン自身の演奏の性質とは対極にあるのですね。それがわかって靄が晴れた思いです。同時にケンプの「優美、女性的、柔らか」な演奏の滋味も感じることができました。今まであまり注目してこなかった18番ソナタの素晴らしさにも開眼しました。ありがとうございました。
 PS:ケンプが書いている、ベートーヴェンの批評家への手紙の内容が知りたいものです。
 

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

ケンプのベートーヴェンについては、若い頃は僕もいま一つに感じておりました。最近になってその素晴らしさを痛感します。第18番は名作ですね(バックハウスが終楽章を弾けなかった最後のリサイタルのことを思い出します。

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