シェリング&ルモーテル指揮モンテ・カルロ国立歌劇場管 サン=サーンス協奏曲第3番ほか(1969.10録音)を聴いて思ふ

内からほとばしる情熱。魂の灼熱。
ヴァイオリン協奏曲ロ短調。
ヘンリク・シェリングの演奏は、常識的な、優等生的な装いを示しつつ、実に念入りな、そして想いのこもったものだ。
第1楽章アレグロ・ノン・トロッポから、エキゾチックな調べに僕は感応する。

サン=サーンスは極めて几帳面な人だったよう。
一方、フォーレは小さいことにはあまり拘らない、ざっくばらんな性格だったのか。

フォーレは、最晩年を別にすると、手紙にはほとんど日付を示していないのである。幸いにして、サン=サーンスはフォーレの手紙を、オリジナルと封筒とともに保管していたので、郵便局の消印(略号C.P.)を見れば、1日か2日くらいの差で、ほぼ正確な日付がわかる。書簡中にはっきりと示されている、また、それとなくほのめかされている日付についても、万年歴を見れば正確にすることができる。
ジャン=ミシェル・ネクトゥー著/大谷千正・日吉都希惠・島谷眞紀訳「サン=サーンスとフォーレ往復書簡集1862-1920」(新評論)P53

フォーレの音楽は閉じられ、孤独が色濃い。それに対し、サン=サーンスの音楽は開かれている。そこにも二人の天才の性質の違いが見事に表れる。個性というのは面白いものだ。
第2楽章アンダンティーノ・クアジ・アレグレットの美しさ。ここでのシェリングの独奏は、本当に深く、またとても温かい。

私は世界中で一番良い先生に恵まれました。私の母です。母は私が五歳の時、ピアノと和声のレッスンを始めてくれたのです。—今なお忘れられないレッスンでした。
(ヘンリク・シェリング)
千歳八郎著「大ヴァイオリニストがあなたに伝えたいこと」(春秋社)P139

それは、母から受け継いだ母性の表れなのか。

サン=サーンス:
・ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61(1880)
・ハバネラ(アヴァネーズ)作品83(1887)
・序奏とロンド・カプリチオーソ作品28(1863)
ラヴェル:
・ツィガーヌ(1924)
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
エドゥアール・ヴァン・ルモーテル指揮モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団(1969.10録音)

「ハバネラ」は優しい。旋律の美しさは超一級、音の動性も人後に落ちない。この柔らかさ、またこの熱さは、シェリングのヴァイオリンあってのもの。そして、「序奏とロンド・カプリチオーソ」の饒舌さ。あくまで上品に、そして丁寧に。シェリングの演奏はある意味優等生的だが、それは決して常識的という意味でなく、悠然たる姿勢をもって奏でられる個性なのだ。

何というエキゾチズム。大自然の大らかさ。豊かなる生命力。シェリングの奏するラヴェルの「ツィガーヌ」に、深遠な息吹を思う。

生にとって掛け替えのない解脱の機会、それは—さらば野蛮人よ! さらば旅よ!—、われわれの種がその蜜蜂の勤労を中断することに耐える僅かの間隙に、われわれの種がかつてあり、引き続きあるものの本質を思考の此岸、社会の彼岸に捉えることに存している。われわれの作り出したあらゆるものよりも美しい一片の鉱物に見入りながら。百合の花の奥に匂う、われわれの書物よりもさらに学殖豊かな香りのうちに。あるいはまた、ふと心が通い合って、折々一匹の猫とのあいだにも交わすことがある、忍耐と、静穏と、互いの赦しの重い瞬きのうちに。
レヴィ=ストロース/川田順三訳「悲しき熱帯II」(中央公論新社)P428

音楽ですら大自然の生み出した一片の鉱物には敵わない。
嗚呼、何という虚しさ。

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