クレメンス・クラウス指揮ロンドン・フィル ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」より第1幕前奏曲とイゾルデの愛の死(1949.1.10録音)ほか

クレメンス・クラウスのワーグナー。
ヴィーラント・ワーグナーとの対立でハンス・クナッパーツブッシュがバイロイトを去った翌年、ツィクルスの棒を振った巨匠の「指環」は大変に熱いもので、世界に希望と期待を与えるものだった。しかしながら、翌年5月に急逝、クラウスのバイロイトでの指揮はたった1年で終わることになってしまった。

(17歳のヴィーラントが)ヒトラーに会ったことでの最も大きな成果は、副官ユリウス・シャウプからの電話だった。シャウプは電話で「約束の資金をどの口座に振り込んだらよいのか」と訊いた。音楽祭を覆っていた暗い空にやっと光芒が射した。しかしここでまた、指揮者を巡る問題が持ち上がった。シュトラウスは《パルジファル》を振ることを承知したが、誰にも相談せずに、クレメンス・クラウスに2回目の《パルジファル》と《マイスタージンガー》の公演を振らないかと持ちかけ、クラウスは大喜びでこの申し出を受けた。しかし4月初め、シュトラウスはこの申し出を引っ込めなければならなくなった。原因は政治的なものでも、「あなたの人格、芸術的業績に関わるものではありません」。こう書いた後で唐突にシュトラウスはクラウスに尋ねている。「ガイスマール嬢をご存知ですか?」。この質問の後に、《フィガロの結婚》からの引用が続く。「これ以上のことは申しません」。クラウスは招待の取り消しは、彼の敵(「独占主義者」)フルトヴェングラーと彼の「ユダヤ人秘書」の陰謀のせいだと考えた。しかし、クラウスをバイロイトに招聘することに異を唱えたのは、実はティーティエンだった。クラウスがナチ党と特別よい関係にあったことも理由の一つだった。ヴィニフレートは大至急カール・エルメンドルフに連絡をとった。3人目の指揮者が見つからず、また見つかっても報酬を支払うことができなかったため、ティーティエンが自ら《ニーベルングの指環》を指揮すると申し出た。
ブリギッテ・ハーマン著/鶴見真理訳/吉田真監訳「ヒトラーとバイロイト音楽祭―ヴィニフレート・ワーグナーの生涯(上・戦前編)」P330-331

1934年のこと。4年前にコジマとジークフリートが相次いで亡くなった後の「パルジファル」を巡っての紛争の一コマである。幾度となくティーティエンによってバイロイト登場を阻止されたクラウスにとって、戦後復活した音楽祭で「指環」を振ることは、人生を賭してでも実現したい究極の願いだったのだろうと思う。

戦後間もなくの録音(1949-51)を聴く。

・ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」作品72から序曲(1949.1.11録音)
・ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」から第1幕前奏曲と「イゾルデの愛の死」(1949.1.10録音)
・ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」から第3幕「聖金曜日の奇蹟」(1949.1.11録音)
クレメンス・クラウス指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
・リヒャルト・シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」作品59から「私が誓ったことは」(1936.4録音)
ティアナ・レムニッツ(ソプラノ)
エルナ・ベルガー(ソプラノ)
ヴィオリカ・ウルスレアク(ソプラノ)
クレメンス・クラウス指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団
・モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527から「窓辺においで」(1947.9.29録音)
・モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492から「もし踊りをなさりたければ」(1947.9.29録音)
パウル・シェフラー(バス・バリトン)
クレメンス・クラウス指揮ナショナル交響楽団
・モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492から「恋とはどんなものかしら」
・モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492から「とうとう嬉しい時がきた~恋人よ、ここへ」
・モーツァルト:歌劇「イドメネオ」から「たとえ父上を失っても」
・モーツァルト:「もういいの、すべてを聞いてしまったの~恐れないで、愛する人よ」K.490
・ヴェルディ:歌劇「リゴレット」から「慕わしき御名」
・ヴェルディ:歌劇「リゴレット」から「いつも日曜日に教会で」
ヒルデ・ギューデン(ソプラノ)
クレメンス・クラウス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1951.9録音)

晩年の(?)最も脂がのっていた頃のクラウスの音楽は、たとえセッション録音であっても内から湧き上がる熱が神々しい。静けさの中にある熱が、聴く者の肺腑を抉り、興奮を呼ぶのである。

中でもワーグナーに関しては、バイロイトへの思いが見事に刻印されているようで、ロンドンのオーケストラでありながら実に純ドイツ風の、安定した、冷静でありながら疾風怒濤の名演奏を聴かせる。

「トリスタンとイゾルデ」前奏曲の暗い色香を見よ。
そして、「愛の死」の冷たい官能を聴け。

「パルジファル」から「聖金曜日」は少々集中力に欠ける。
この曲には抹香臭い信仰心の刻印が必須だが、ここにはそれがあまり感じられない。クラウスともあろうものが、どういうことなのだろう。(オーケストラの問題か?)

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