
シュトラウス=ホーフマンスタールの共同作業による最高傑作は、楽劇「影のない女」だろう。目に見えないもの、目に見えるもの、あらゆる事象を「慈しみ」で一つにすることができたら、仙佛となることができる、という真理は確かなことだ。つまり、僕たちが、真の自分を取り戻すことができたら、世界は確実に変わり、誰もが幸せになるのだ。それは、古今東西、誰もが集合意識の中で求めている事実だった。
ベームの「影のない女」(1977Live)を聴いて思ふ ホーフマンスタールは書く。
あなたがおっしゃって下さいましたように、私も舞台のために書いた作品で、これほど成功したことはないのではないか、とさえ思っております。第1幕を提示部、そして第2幕を重要な筋の結び目と致しますと、第3幕は、最高の意味で音楽に即しつつ、いわば暗黒の世界から刻一刻輝かしく明るい世界へ高揚する終幕として、模範的なものとならなければなりません。第2幕の作曲に、あなたかいささかてこずられるであろうことは、仕事をしております間、私もなにがしか予感しておりました。そこで私は、いくつかのアンサンブル・ナンバーが、これまでのどのテキストにも見られないほど、真に有機的に、コンテクストの中から自然に浮かび上がってくるよう、また、5つの部分からなるこの幕を、一つのまとまりに仕上げなければならない、というあなたの困難なお仕事を、いくらかでも容易にするよう、一つのシーンから次のシーンへの経過部分をうまく書いておいた、と自負しております。
(1914年7月25日付、シュトラウス宛)
~ヴィリー・シュー編/中島悠爾訳「リヒャルト・シュトラウス/ホーフマンスタール 往復書簡全集」(音楽之友社)P249
この時点では、第2幕について主にやり取りされているのだが、お互いの主張と、前向きな議論は、まさに丁々発止といえ、本気のぶつかりこそがシナジーを創発し、他に代替することのできない逸品を生み出すのだということがわかって面白い。
ホーフマンスタールは、人間になる皇后こそがドラマ全体で最重要の役柄であり、その人物像に最大の注意を払って作曲してほしいという。
霊の光が常に彼女から発散しており、そして彼女が人間となっていく道の要所要所には、いわば光り輝く炎の印が刻まれているのです。第1景ではそれは《ああ、悲しいこと、彼らが出会わなければならないとは》(Ach weh, daß sies ich treffen müssen)以下の叫び(6ページ)であり、第2景では彼女は口を開きませんが、しかしこのシーン全体が彼女をめぐって進行しているのです。(そもそもこの作品全体を通じて、彼女が全くの部外者にとどまるシーンは一つもございません。)
第3景の最後の部分で、焦点は完全に彼女に合わされるのですが、そのやり方はきわめてさりげなく、しかしきわめて決定的なものになっております。
このシーンは直接第4景につながりますが、第4景は、ヴィジョンに依って中断され強められた、皇后のモノローグ以外の何物でもありません。
そして第5景は、皇后のモノローグの最後の言葉がもたらした雰囲気の中で進行し、ここでの経過はすべて、ある意味では、ただただ皇后の内面に起こる事象の投影にほかならないのです。そもそも詩的なものは、外的なものすべてが内面化され、そして内的なものすべてが外面化されたとき、初めてリアリティをもつものなのですから。大きな七重唱につきましては、あなたの手腕にお任せするほかはございません。つまりこの皇后の声に、すべてを支配する響きを与えること、そしてその中で、これまで起こったことすべてが総括され、この人物の持つきわめて高度な意味が、続く第3幕のためにあらかじめ予告されるような、そういう響きを皇后の声に与えていただかなければばらないのです。
~同上書P250
ホーフマンスタールの要求は実に高度だ。
そして、その要求に対して120%応えることができたシュトラウスの手腕は並大抵でない。
第2幕は殆ど出来上がりました。本当に素晴らしいものになります。本当に自然に作曲の筆が進んでゆきます。それ程あなたのテキストは素晴らしく、音楽にぴったりなのです。
(1914年10月14日付、ホーフマンスタール宛)
第2幕は計画どおり完成しました。そして悪くない出来栄えだと思っています。この幕は私の計算によると65分、あるいはせいぜい1時間10分です。第1幕が54分でしたから、まことによく釣り合いが取れていると思います。
(1914年10月27日付、ホーフマンスタール宛)
~同上書P254
手紙から、シュトラウスの自信のほどが迸る。
ホーフマンスタールが「重要な筋の結び目」とした第2幕を繰り返し聴いた。
完璧な筋書きは、シュトラウスの舞台転換の音楽によってすべての場が円満に、そして完璧につながれる。
やはり第5場の七重唱が本領発揮で、このときの、キング、リザネク、ベリー、ニルソン、そしてヘルム、アルヴァリー、ディッキーによる壮絶な絡みが、聴く者の度肝を抜く。
石化するバラックの、覚者を得んとする呻きは、ヴァルター・ベリーの見事な歌唱によって表現される。
それに対する、妻の愚かな表情も、ニルソンによって狡猾に、また感情的に醸し出されるのである。とはいえ、妻は嘘をついていたことを謝罪する。(その瞬間の愛情に溢れる表情はニルソンならでは)
(結果、バラック夫妻は地底へと呑み込まれてゆき、幕)
人の命は業に因って昇りもすれば降りもする。
すべては行ないによるのだが、「身・口・意」、中でも意思こそが最も避けるのが困難なもの。
自らの命は自らで救わねばならず、その意味で救世主は外になく、自分自身であることを知るべきだと思う。
(世間では難解と言われるリブレットだが、「魔笛」同様これほど明快な物語はない)
