クレンペラー指揮フィルハーモニア管 モーツァルト 交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」(1954.10&11録音)ほか

ウォルター・レッグがオットー・クレンペラーと終身契約を結んだのは、1959年のことであり、それは、レッグが結成したフィルハーモニア管弦楽団を指揮した「ジュピター」交響曲の終楽章の類稀な名演奏に触れたからであった。

クレンペラーの残した「ジュピター」交響曲はいずれも素晴らしい。

イギリス音楽祭の2度目のコンサートでは、わたしはウォルトンの『スカピーノ』序曲とエルガーの『エニグマ変奏曲』をやる予定になっているのに気がつきました。しかしすでにウォルトンをやっているのに、なぜエルガーをやらなければいけないのか? ウォルトンもイギリスの作曲家です。なぜわたしは『ジュピター交響曲』をやれないのか? 「だめです、だめです。プログラムは変更できません。聴衆は外国人の指揮者によって演奏される『エニグマ変奏曲』をとくに聴きたがっているのです。」「それならわたしは指揮しない。」それで彼らは考えを変え、わたしは『ジュピター交響曲』を指揮しました。
ウォルター・レッグがそのコンサートに来ていました。演奏したのが彼のオーケストラ、フィルハーモニアだったからです。彼は『ジュピター交響曲』、とくにその終楽章が気に入りました。コンサートが終わってから、彼は家内とわたしを自分の家のディナーに招待してくれて、朝の3時か4時まで休むことなく話をしました。レッグは有能な人間です。彼は強烈な個性をもっており、激し意見を述べます。たとえばこう言いました。「クロール・オペラがなぜ閉鎖されたかご存知ですか? あなたはやりすぎた。あまり現代ものをたくさんやりすぎたのです。あなたが悪いのです。」驚きました。その間家内はソファーの上で眠っていましたが、帰路についてからわたしが家内に言った最初の言葉は「あれはたいへん危険な人物だ。たしかに、よく知っている。だが危険だ」ということでした。

ピーター・ヘイワース編/佐藤章訳「クレンペラーとの対話」(白水社)P187-188

偶然の産物のように見えるが、きっかけはクレンペラーがプログラムの変更を断固として主張したことにある。クレンペラーはレッグを危険分子扱いしたが、クレンペラーも同じような要素を持っていたことは間違いない。(互いに引き寄せ合ったのだろう)
晩年の数多の優れた録音が残されたことに感謝したい。

わたしはレコーディングをし—レコーディングには時間が必要です—そのあとではじめてコンサートをやりました。みんなうまくいきました。そして1959年にレッグはわたしに終身契約をしようと申し出てきました。わたしがそれを承諾したのに、レッグがオーケストラと終身契約をしなかったのは考えてもおかしな話です。
~同上書P189

レッグほど計算高い男はいなかったとみえる。
そしてまたレッグは王様だったのだろうと思う。

1954年の録音を聴いた。

モーツァルト:
・交響曲第39番変ホ長調K.543(1956.7.23-24録音)
・交響曲第41番ハ長調K.551(1954.10.5-6&11.24録音)
・セレナーデ第13番ト長調K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1956.3.25録音)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

50年代のクレンペラーの芸術には、晩年ほどの牛歩はない。
重量感は十分残したまま、音楽は颯爽と(?)奏でられる。
(モーツァルトが喜んでいるようだ)

モノラル録音ながら「ジュピター」交響曲はことのほか素晴らしい。
特に、レッグがほれ込んだ終楽章は軽快なテンポで進み、終結では、一瞬ブレーキをかけ、がくっとテンポを落とす方法に快哉を叫ぶ。

たとえばクレンペラー博士はこの本に出てくるような長いパラグラフをしゃべる人ではない。これは、不必要またはくり返しと思われる質問を削除し、一連の短い答えをまとめてしまったからにほかならない。また一方では、わたしは多くの矛盾をそのままに残しておいた。ウォルト・ウィットマンの言葉
「わたしの言うことは矛盾しているのか。
そうだ、たしかに矛盾している。
(わたしは広大無辺、あまたのものを包みこんでいるのだから。)」
は、わたしの知っているかぎりでは、だれよりもオットー・クレンペラーにぴったりとあてはまる。

~同上書P15

オットー・クレンペラー53回目の命日に。

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