
意識は時空を超えてつながる。
ちょうど13年前に、僕は感じたことを書いていた。
聴くのはたぶんそれ以来だろうか。否、当時、僕は早朝の瞑想時に、このアルバムを音量を極力絞りかけていた。何だか、自分の内なる遠い記憶を喚起する、そんな刺激がここにはあったように思う。
リサ・バティアシュヴィリ:「時の谺(こだま)」 「時間の余韻—そして、家族」という標題通り、アルバムに収録された諸曲を耳にするにつけ、過去から現代、そして未来へと連綿と続く歴史の「空」を感じさせられる。本来何もない「真空」に、すべてがあるという「妙有」が一つになったとき、音楽は形になる。
ショスタコーヴィチの音楽は、リサ・バティアシュヴィリの最も古い記憶の中にある。幼少の頃に、父親の弦楽四重奏団がショスタコーヴィチの作品のリハーサルをするのをしばしば聴いていたからだ。
バティアシュヴィリと家族は、リサが11歳のときに故郷ジョージアを離れたが、ショスタコーヴィチの音楽はいつも共にあった。彼女の教師であった、マーク・ルボツキーはダヴィッド・オイストラフの弟子であり、そのオイストラフのためにショスタコーヴィチはヴァイオリン協奏曲を作曲した。若きバティアシュヴィリにとってこの曲は、源と直接つながることのできる糸のように感じられたという。
「先生がこの曲について話しはじめたとき、私はこの作品に完全に恋に落ちました。ダヴィッド・オイストラフの演奏は、すべてのフレーズにとても情感的でまた正確でした。どういうわけか、この曲は、ソヴィエト連邦の時代を象徴するものとなり、私自身も人生の始めの10年間にそれを体験したのです。ソヴィエト時代の音楽家たちも、ショスタコーヴィチが音楽を通して求めた自由を求めていました。極めて苛酷なシステムの中で機能することが極めて困難だった時代に、音楽は自由への逃避行であり、またその象徴でした。両親とモスクワに旅した際、たくさんの人々に出会い、この音楽が、彼らが経験していることのまさに鏡だと強く感じました。それは当然のことでした。
ドイツ・グラモフォンのデビュー・アルバムは、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番を核に据えるべきだと考えました。『Echoes of Time』というタイトルの下、私は、ソヴィエト・ロシアに光を当てることにしました」。
彼女の故郷であるジョージアは、ここではギヤ・カンチェーリを通じて表現されている。
カンチェーリの、幽玄な「V&V」は、音楽という小さな世界を味わうものであり、その世界は巨大な北の隣国とは明らかに異なるものであるものの、何らかの糸でつながっているのだ。
(シャーリー・アプソープ)
あらためて感動の思い。
暗い過去を引きずるようなショスタコーヴィチにあって、内なる暗澹たる苦悩が、いかにも解放されんとするリサ・バティアシュヴィリの演奏には、彼女のジョージア人としての潜在的な明るさが反映されているかのようだ。
「ジョージア人は実際にはロシア人とはまったく関係がありません」とバティアシュヴィリは説明する。「気候に関して言えば、ジョージアは南部の国であり、人々は本質的に南部イタリア人やギリシャ人に似ており、とても活発で、驚くほど感情的で、自然体です。山と海に囲まれ、1年のうち8ヶ月間、素晴らしい天気が楽しめます。ロシアは広大で孤独で、孤立した場所がたくさんありますが、ジョージアはコンパクトで、すべてが燃え立っているようです。その分、演奏においてはジョージア語に聞こえることを避けられません。私はそこで子ども時代を過ごしましたが、ジョージアにいるととても強烈な感覚に陥るのです。たとえヨーロッパで20年以上を過ごしたとしてもそれは私の遺伝子や血管に宿っているのです」。
(シャーリー・アプソープ)
ビートルズの「サージェント・ペパーズ」やピンク・フロイドの「狂気」と並ぶ(?)(他にも傑作はたくさんあるが、キリなし)歴史的コンセプト・アルバムの一つと言っても言い過ぎではない、完全無欠のクラシック・アルバム。
The Beatles “Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band” (Anniversary Edition)を聴いて思ふ
The Beatles “Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band” (1967)を聴いて思ふ ラスト・ナンバーは、エレーヌ・グリモーとのラフマニノフの「ヴォカリーズ」。これがまた締めにぴったりの音楽であり、名演奏。
