
ラテン的気質というのか、僕は随分長い間、それを苦手としてきた。
趣味嗜好とどうにも合わないという感覚があったのだが、そのあたりは年齢を重ねていくにつれ薄れていったように思う。
同じ理由で、僕はヴェルディもプッチーニも苦手で、特に若い頃は真面に聴いて来なかった。ところが今や、ヴェルディもプッチーニも大好物になっている。人間の感覚、というより器は常に変化し続けるものなんだと痛感する。
一時期、マリア・カラスを集中的に聴いていた。あの声は、他の何者にも代え難い魅力がある。一聴、カラスだと分かるその歌唱に絶対的な「芸術」を僕は感じる。
ジャコモ・プッチーニの言葉。
一つの点で、我々イタリア人はドイツの作曲家にまさっている。それは、長調を用いて限りなく深い悲しみを表現する能力だ。
~アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)P192
彼はヴェルディの「リゴレット」の最後の場面を採り上げ、説明するが、プッチーニのオペラすべてについても文字通り同じことがいえる。そしてまた、次のようにも付け加えるのだ。
マリア・カラスのヴェルディ歌劇「リゴレット」(1955.9録音)を聴いて思ふ イタリア人は、響きの根源的な美しさに対して、生まれつきの際立った感覚を備えている。
~同上書P196
それはまさに「歌」なのだろう。
うまく表現できないが、トスカニーニにあってフルトヴェングラーにないもの、それこそ「歌に対する生まれつきの際立った感覚なんだと思う。
マリア・カラスの「マノン・レスコー」にもそのことを感じさせる瞬間が多々ある。
例によって、指揮者はトゥリオ・セラフィン。この録音においてもセラフィンの役割の比重が実に大きい。
パリを離れて2週間のうちに、カラスはチューリヒでのコンサートに出演し、RAIローマの公演で—喜ばしいことにセラフィンの指揮によって—ルチアを歌った。続いてケルンでアミーナを歌い、当時のドイツではベッリーニの音楽があまり知られていなかったにもかかわらず、聴衆と批評家の両方から大好評を得た。客席にいた私には、彼らが心から感動し、当代最高の舞台にたちあったことを実感しつつ家路についたことがわかった。
ケルンからミラノに戻ったカラスは、3週間かけてプッチーニの二つのオペラをレコーディングしたが、それぞれのヒロインはアミーナとはまるでタイプがちがっていた。一つは、舞台では歌ったことのない新しい役マノン(『マノン・レスコー』)であり、もう一つは非常に骨の折れる『トゥーランドット』のタイトルロールである。指揮は2曲ともセラフィンがつとめ、『マノン・レスコー』のテノールはディ・ステーファノ、『トゥーランドット』のテノールはエウジェニオ・フェルナンディで、高名なソプラノのエリーザベト・シュヴァルツコップフがリューを歌った。二人のソプラノの共演は、それ以上は望めないほどうまくいった。これをきっかけに二人はおたがいへの理解を深めるようになり、親友となった。
~ステリオス・ガラトプーロス著/高橋早苗訳「マリア・カラス―聖なる怪物」(白水社)P305-306
カラス全盛期の記録はやはり素晴らしい。
「お涙頂戴」的悲劇がやっぱり苦手。
しかし、プッチーニの付した音楽は実に美しい。
プッチーニのセンスを充分に理解し、存分に再生できるのは、セラフィンの生まれつきの際立ったセンスによるのだろう(先の「トゥーランドット」同様)。
そして、何よりカラスのマノンの相変わらずの力強さ!
対するディ・ステーファノの色香豊かな、伸びのある歌がカラスの歌唱に色を添える。稀代の二重唱に感動。
ディ・ステーファノは、2004年、ケニア近郊の別荘で妻と共に強盗にピストルで襲撃され、意識不明のままミラノの病院まで搬送され入院。以降昏睡状態が続き、2008年3月3日、ミラノの自宅で死去。何とも因業の深い人だった。
