朝比奈隆指揮大阪フィルのベートーヴェン ミサ・ソレムニス(1977.7Live)を聴いて思ふ

内と外との平和に対する祈念。
小松雄一郎訳編「ベートーヴェン 音楽ノート」(岩波文庫)P97

これは、「ミサ・ソレムニス」の出版された楽譜に書き込まれた言葉である。
ベートーヴェンは生涯カトリック教徒だった。
しかし、何だか僕には彼が熱心な信者であったようには思えない。もちろん信仰心篤けれど、特定の宗教宗派にこだわっていたように僕にはどうしても思えないのである。明確な根拠はないけれど。

ベートーヴェンが晩年、インド哲学に傾倒していたのは有名な話だ。
宗教の形骸化をいち早く感知し、宗教でない、何かほかのものに真理を求めたのかもしれない。果たして彼には真実が見えていたのだろう(特に聴覚を失って以降)。

ベートーヴェンにとって創作活動は、既存の枠のブレイクスルーだった。彼の作品が常に革新的であるのはそのためだ。

互に抱き合え、もろびとよ!
全世界の接吻を受けよ!

(渡辺護訳)

交響曲第9番終楽章の中で、シラーの詩を借り、ベートーヴェンは世界が一つになることを夢見て、そう歌わせた。それこそが答だ。そして、その答に行き着く直前に、彼は宗教を(内心)捨てたのだと思う。

長期間推敲に推敲を重ね、1823年3月19日にようやく成った「ミサ・ソレムニス」作品123。重厚であり、また巨大なこの作品は、カトリックの典礼文を借りた彼の信仰告白であり、同時にまた、新たな境地に辿り着く上で必要ないわば断捨離。一神教から八百万への転換か。第4曲「サンクトゥス」から、独奏ヴァイオリンが神秘的で官能的な調べを奏でる「ベネディクトゥス」の透明感こそ、神への感謝とともに、彼のカトリックからの離脱を表明せんとする心境告白ではなかったか。

ベートーヴェン:
・ミサ・ソレムニスニ長調作品123(1977.7.4&5Live)
樋本栄(ソプラノ)
藤川賀代子(アルト)
林誠(テノール)
三室堯(バス)
関西学生混声連盟
フロイデ合唱団
安田英郎(ヴァイオリン・ソロ)
・ミサ曲ハ長調作品86(1977.11.29Live)
藤井久栄(ソプラノ)
田中万美子(アルト)
山岸靖(テノール)
蔵田裕行(バス)
大阪フィルハーモニー合唱団
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団

「ベネディクトゥス」前の鷹揚な音調に安寧を覚える。ここには朝比奈隆の深い祈りが投影される。

「レオノーレ」での、産みの苦しみ。幾度もの改訂を経てようやく成った「フィデリオ」は、モーツァルトの「魔笛」と(形も内容も)相似形。日本の狩の姿を装うタミーノはフィデリオ、すなわちレオノーレ。この歌劇に底流するのは、同じく第9の精神だ。
その後、年を追うごとにベートーヴェンの魂は進化する。

朝比奈隆の、例によって愚直としか言いようがない堂々たる演奏は、40余年前のものと言えども(実演ゆえの瑕も大いにあれども)、日本人がこれほどまでにベートーヴェンの精神を、信仰心を力強く表現したものとして世界に誇れる代物だろう。まずはその事実に驚きを隠せない。

一方の「ミサ曲」作品86(1807年作曲)も、いかにも朝比奈流の、重心の低い、地に足の着いた名演奏。敬虔なる第4曲「サンクトゥス」がやはり飛び切り美しい。しかし、肝となるのは第3曲「クレド」。前年に交響曲第4番やヴァイオリン協奏曲を生み出し、翌年には交響曲第5番、第6番を作曲することになる絶頂期のベートーヴェンの爆発的創造力の賜物。第3部のアーメンのフーガの力強さ!

ベートーヴェンの崇高な祈り。
以上、僕の、ベートーヴェンにまつわる夢、または妄想。

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22 COMMENTS

ナカタ ヒロコ

ミサ・ソレムニス 哀しいのですが、私はいつも曲の途中で集中力を失ってしまうのです。最初の「キリエ」は好きなのですが、そのあとは・・・とても悔しいです。この朝比奈さんの演奏を聴いてみたいと思います。ありがとうございます。

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岡本 浩和

>ナカタ  ヒロコ  様

ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ盤は聴かれたことありますか?
僕も昔は同じように、どんな名盤と言われる音盤を聴いても集中力が持たなかったのですが、このジンマン盤で開眼しました。
https://classic.opus-3.net/blog/?p=5014

あと、「サンクトゥス」「アニュス・デイ」からまずは聴いてみるのも攻略法のひとつだと思います。

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ナカタ ヒロコ

ありがとうございます。ジンマンを聴いてみます。ご紹介のミサ・ソレムニスアプローチ記事を読み、勇気づけられました! ちなみに私も青木やよい氏の一連の著作を愛読しました。ちょうどそのころお亡くなりになって、とても残念でした。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

青木さんは没後10年のようですね。彼女のベートーヴェン関連の書籍はとても読み応えありました。

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ナカタ ヒロコ

そうですか。もうそんなになるのですね。アントーニア・ブレンターノ不滅の恋人説は衝撃的でした。それを世界で最初につきとめた青木さんはすごいですよね。そもそもベートーヴェンに引き込まれたきっかけが後期弦楽四重奏曲(たしか15番?)だったなんてただ者ではありません。ベートーヴェンの周りにいた貴族出身の女性たちが、ベートーヴェンと関わることによってインスパイアされ、勇気を持って社会的にも貢献する存在になっていったことを思うと感動せずにいられません。
 余談ですが、フランクフルトの公園にある、アントーニアが建てたという銅像を見ずには死ねないと思います。無駄話をしてすみませんでした。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

おっしゃるとおりですね。
ちなみに、フランクフルトの銅像は、かれこれ20余年前に訪問したときに見ておりますが、それがアントーニアが建てたものだというのは知りませんでした。ありがとうございます。

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ナカタ ヒロコ

僭越ですが、羨ましいです。フランクフルトの公園、しか知識がなく、岡本様のご記憶がありましたら、公園の名前など、教えていただけませんでしょうか。(拝)

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

僕も記憶が定かではないのですが、それほど有名な公園ではなかったように思います。他にゲーテの像もあったような・・・。しかも、偶々通りがかって見つけたという程度で・・・。たぶん写真を撮ったとは思うのですが、今手元になく残念ながら確認できません。

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ナカタ ヒロコ

了解しました。すぐに対応してくださって、恐縮です。ありがとうございました。

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様
 ジンマン・トーンハレ盤を聴いてみました。爽やかで軽やか!最後まで意識して聞き通すことが出来ました。ベートーヴェンはこれを作曲するにあたって、グレゴリオ聖歌からひもといて研究していたそうですね。ルドルフ大公のお祝いに献呈するつもりが、作曲に熱が入って没頭するうちに5年も遅れた、と。青木さんの本で読んだのか、作曲中のベートーヴェンのリズムを取る足踏みの音が家中にやかましく響いている場面が浮かびます。四声ソロと合唱と交響楽が混然一体となって創り上げるミサ曲の推進の力強さ、フーガの壮麗さ、なんだか、巨大な神殿の、時代や装飾の違ういろいろな部屋をめぐってまわっているような気持ちがしました。今までミサソレムニスを知らずに、ベートーヴェンをだいたいわかったような気がしていたことの迂闊さにあきれました。それからいろいろな盤を聴いてみました。ガーディナー・イングリッシュバロックソロイスト盤ー清澄、クレンペラー・ニューフィルハーモニア盤ー荘重、バーンスタイン・ニューヨークフィル盤ー情熱、ベーム・ウィーンフィル盤ー入念、カラヤン・ベルリンフィル盤(YouTube)ー壮麗、トスカニーニ・NBC盤ー緊密 勝手な印象を書きましたが、それぞれに聴きごたえがあるように思いました。毎晩聴いても飽きないです。

 この曲の森の中に入る背中を押してくださって、本当にありがとうございました。

ひとつご意見をたまわりたいことが・・・ アニュス・デイの終わり方ですが、あまりに唐突すぎませんか? 合唱も終止形じゃないし、終わりの音も短すぎる気がするのですが・・・ベートーヴェンが作曲しているうちにあまりに壮大になって終わらないので、楽譜出版社はまだかまだか、と急かすし、金欠で早く代金がもらいたいし、で手早く終わらせたのでは?という疑念がチラと頭のよぎったのですが、あんまり不届きな想像でしょうか。すみません。あれでいいのでしょうか。
 ついでにお考えをお聞かせ願いたいのですが、ベートーヴェンは例の「不滅の恋人への手紙」を実際に郵送したと思われますか?お忙しいのに恐縮ですが、急ぎませんので、お願いします。たかが、されど、でずっと気になっています。他にこんな質問ができそうな人がいません。いろいろと失礼しました。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

早速ジンマン盤を聴かれ、さらには様々な名演・名盤を聴かれたこと素晴らしいです。
本当に毎晩聴いても決して飽きないマスターピース、どころかベートーヴェンの最高傑作だろうと今の僕は思っております。ご紹介できて良かったです。

さて、ご質問の件ですが、「アニュス・デイ」が唐突に終わるように感じたことがなかったので、とても新鮮です。なるほど、そういわれればそんな気もしないでもないですが、僕も音楽を専門的に勉強したわけではないので、答に窮します。ちなみに、ナカタさんはとても想像力豊かで、なるほど、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスにまつわる裏話にはそういうことがあってもおかしくないですね!実際のところはベートーヴェンに聞かないとわかりません。そんな回答ですいません。

あと、「不滅の恋人への手紙」ですが、これもいろいろと推理がありますから、学者先生の見解を優先すべきなのでしょうが、実は僕が一番面白いと思い、支持しているのは、古山和男さんが書かれた「秘密諜報員ベートーヴェン」に示されている、「不滅の恋人への手紙」は恋文などではなく、ナポレオンのロシア遠征に絡む「暗号の手紙」だったいうほとんどミステリーに近い奇天烈な仮説です(あながちあり得なくないと思えるところが素晴らしい)。
https://classic.opus-3.net/blog/?p=2622
https://classic.opus-3.net/blog/?p=13416
https://classic.opus-3.net/blog/?p=16558

今、手元に(どこに紛れ込んでいるのか)その書籍が見当たらず、詳細を抜粋することができないのですが、推理小説のつもりで読んでみていただくと面白いと思います。吃驚しますよ。とはいえ、何だか「なるほど!」と納得できる気もするので不思議です。(笑)

あ、質問は、実際に郵送したかどうかでしたね?
失礼しました。あまり深く考えたことがなかったので、四方八方から検討してみたいと思います。少々お時間をください。

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ナカタ ヒロコ

お忙しい中、妙なことを持ち出してすみません。「不滅の恋人への手紙」が郵送されたかどうか、という私の疑問は、ベートーヴェンの恋人としてのアントーニエがこの手紙を読んだか、という意味なので、前に面白く私も読んだ古山氏の本をもう一度真剣に読み返してみたいと思います。ありがとうございました。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ様

なるほど!そういうことだったんですね。失礼しました。
僕もいずれにせよいろいろな説を検証しながら考えてみたいと思います。
ちなみに、古山さんの例の本は読まれていたのですね!
実に興味深い説だと思います。

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様
 私の偏執的な問いについて前向きに受け止めてくださり、ありがとうございます! 以前に「秘密諜報員 ベートーヴェン」を、ワクワクしながら読んだのですが、本気に受け止めなかったからか、あまり記憶に残っていないので、もう一度読み返してみました。ロールシャッハテストで、人の横顔だと思っていた絵が実は壺の絵だった、というような衝撃です。1812年当時のヨーロッパの政治経済の激動に今さらのようにショックを受けました。古山氏は、当時のベートーヴェンをめぐる政治や経済、人脈等を調べあげられ、それをもとに精緻な考察のもとに、「不滅の恋人への手紙」文が、フランツ・ブレンターノに宛てた、テプリッツ状況を報告する密書であった、と結論されているようです。「不滅の恋人」とは「自由(の女神)」のことであると。「すごい!!」ベートーヴェンの思想や立場から考えると、考えられなくはない状況だと思うのですが、私にはどうしても壺の絵には見えないのです。どちらにしても憶測でしかない、ということが前提なのですが、古山氏の説に疑問点を抱きます。それをここで書かせていただくのは顰蹙ものだとは思うのですが、本ブログの寛大さに甘えさせていただきます。すみません。
 1.伝える主な情報はエステルハージの状況、ということですが、それ以外の恋文らしき部分があまりに多く、且つ複雑な思いを縷々説明しているのはなぜでしょうか。密書なら、できるだけ簡潔にするものでは?
 2.「君」を「自由」に替えて読むことによって、自由を渇望するベートーヴェンの気持ちが顕わになる、ということですが、気持ちを一つにしている同士であるフランツに向かってそのようなことを延々と書く必要があるでしょうか?
 3.カールスバ―ドにいるフランツたちに情報を送ることは、以前から打ち合わせ済みのようなのですが、テプリッツからカールスバ―ドに向けて出る郵便馬車が夏の間毎日出る、というような重要なことを、ベートーヴェンが知らなかった、というのは、諜報部員としてあまりに迂闊では?
 4.「この手紙をフランツに返してもらってから・・・」と書かれていますが、このような秘密裡の暗号のような手紙は、読まれた途端に捨てられるのが普通では?その上、出したベートーヴェンに返されるのは不思議です。
 5.鉛筆はフランツにもらった、とのことですが、恋文に見せかけるのに、わざわざ括弧付けで鉛筆の所有者を書くでしょうか?
 6.宛名がアントーニエで、読む人はフランツとのことですが、恋文の内容はあまりに具体的で複雑な揺れる心情を吐露しているものです。これはアントーニエへの実の気持ちでは?とフランツに疑念を抱かせる危険性大ではないでしょうか。
 7.手紙の最後の”L”が、LudwigのLではなくLibertyのL、とのことですが、第一信で、「君の忠実なルートヴィヒ」と手紙を締めくくっているのに、第三信で署名の内容が変わる、ということがあるでしょうか?
 8.手紙が時事的なものなのに、ベートーヴェンが銀行券(株券)や女性のミニチュア肖像画と共にずっと隠し持っていたのは解せません。
 9.1913年の日記にある、「Aとのことはすべて瓦解した 神よ 不幸なBにお慈悲を」というところのAは、例えば”Angel(天使)”であって、「断じてアントーニアではない」と断じておられますが、「天使とのことはすべて瓦解した」で、1812年の状況の急落を示すと言えましょうか。それであれば、手紙に「自由」の意味で書かれていたというお説の「L」の方が「A」よりもふさわしいのでは?
 10.テプリッツを9月28日に出てから、ベートーヴェンはブレンターノ一家と再びプラハで落ち合った、と書かれていますが、青木やよい氏の本では、フランツェンスバートを出てから、ベートーヴェンは二度とアントーニエに会うことは無かった(むしろ一家がフランクフルトに帰ってしまうまでウィーンに戻るのをさけていた)と書かれていたように思うのですが???
 11.手紙にあるようなぬかるみの道や危険な森は実際には存在しない、と書かれていますが、当時そのことがかなり大きな謎とされるのが普通だと思うのですが、そんなことは今まで聞いたことがありませんが・・
 12.アントーニエについて「夫との関係は以前も以後もきわめて良好であり、ベートーヴェンとの恋愛関係を示す証拠や資料は全くない」「アントーニエは十分満たされた母親であり、新興財閥当主の夫を支える、知的で冷静な夫人」と断定されていますが、そうではなかったことは、青木やよい氏の、アントーニエについて書かれた新しい文献や手紙を基にして
著された本の中で明らかにされています。
 13.アントーニエやヨゼフィーネを、立派な進歩的な夫を献身的に支える理想の伴侶、と断定されていますが、女性に対してあまりにステレオタイプな把握では?
 14.ベートーヴェンが人妻と恋愛関係を持ったのでは?という疑いは、ベートーヴェンにとって不名誉なこと、と言っておられますが、そんなタガをベートーヴェンやその周りの女性たちに当てはめることが果たして彼らの名誉を守ることになるのでしょうか?
 15.シントラ―は、「手紙」の内容と価値を理解しており、メッテルニヒの反動体制に抵抗を挑んだ師の業績を同士たちや後世に伝えるために公表した、と書かれていますが、ベートーヴェンがシントラ―を心底からは信じていなかったことは、ベートーヴェンの伝えられる言動や手紙から証明されているし、もし伝えるためだったとしても、なぜそのことをはっきり本の中で書かなかったのでしょう?
 16.連作歌曲「遥かなる恋人に寄せて」の中の遠く離れた親愛なる女性は「自由の女神」であり、それを得られなかったロブコヴィッツのことを歌っている、と書かれていますが、歌詞の内容は、遠く離れた、丘に佇んでいたり、物思いにふけっていたりする、絹のような巻き毛の女性に、自分のあいさつや思い、嘆き、憧れを伝えてほしい、と風や小川や小鳥に頼んだり、自作の歌が彼女のリュートにのせて歌われることによって、自分の想いが伝わるように、という願いを綴ったもので、この女性が「自由の女神」のような抽象的な存在にはとても思えません。

 と、長々と羅列してしまい、恐縮です。岡本様が、いろいろ検討してみたい、と言っておられるのに、こらえ性もなくフライングしてしまい、失礼いたしました。

   
 

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

詳細な指摘をありがとうございます。
もうビシバシ突っ込んでやってください。(笑)
いい加減な空想こそが真実だと断言するわけではないのですが、それにしても古山さんの飛び切りの妄想(?)にたぶん僕は感激したのだろうと思います。
古山さんの説は確かに「穴」だらけで、妄想の域を出ません。おっしゃるように端から本気で受け止められないような内容と言えば内容ですし、矛盾や疑問を挙げればキリがないので、ナカタ様の在り方が本来なのだと思います。

しかし、仮にも音楽大学の講師であり、論文として発表されたものが新書になるくらいですから、奇天烈な発想だけでなく、やはり発刊の勇気と申しますか、常識を覆す荒唐無稽さ、そういうものに僕はどうしても(直感的に)惹かれるというのがあります。
「レビンの壺」ですが、何事も両面が見えて、かつ理解できるというのは至難です。

というのも、世の中には表と裏がありまして、例えば史実などというのは、どれだけ高名な学者が精査しようと歴史の当事者でなく、ましてや本人以外わからないことが大抵ですから、絶対という説はあり得ず、一般には表には出ない裏の世界があっても良いだろうと考える僕には、飛びつきたくなる説でしたので、10年ほど前にこの本を読んだときに思わず興奮してしまった次第です。しかも、手元にその本が見当たらず、薄い記憶のまま、再び興奮して回答差し上げたことがいけなかったのかもしれません。お許しください。

さて、とはいえ、いくつもの疑問点を挙げていただきありがとうございます。
おっしゃるとおりだと思います。
ただ、晩年にインド哲学にはまり、そのせいか「楽聖」と呼ばれるベートーヴェンは、霊的にもかなり高貴な(イッちゃった?)存在でしたでしょうから、いわゆる人間社会の理屈だけでは通用しない思念や行動があったのではと考えてみると、つまり、常識や論理性を外して考えてみると、意外に!という思いに至っても良いのではないかとも思います。
ちなみに、例えば宗教的な法は一般にはわからない形、つまり隠された裏、に残されるものです。その意味でベートーヴェンは何かを得た可能性があると空想する僕には余計にツボだったのでしょう。

いずれにせよ、古山さんの説は、是非、賛否はともかく、興味深いものだと思います。
特に、「エリーゼ」の件は膝を打ちました。

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様
 あたたかく受けとめてくださり、色々お考えを教えてくださって、ありがとうございます。また、「秘密諜報員ベートーヴェン」を再読する機会をくださったこと、本当に感謝しています。どうも政治・経済のことに極端に疎いので、この本によって、当時のベートーヴェンと周辺の人々を取り巻く状況を知ることで、人間像が立体的に迫ってくるように思いました。だれもが、生きるための経済活動、親戚との関係、家族の絆、仕事の遂行、政治的な立場等々の中で生きていることを忘れがちでした。「エリーゼのために」の説は一番説得力がありました!バガテルの一つとされていますが、やはり異色の存在だったのですね!
 ベートーヴェンの恋文については、本人以外わからないこととは思いつつ、やはり真実が知りたい!という欲求抑えがたく、少しでも真実に近そうな説を切望するあまり、今回のように疑問を感じると節操なくつっこんでしまうので、お恥ずかしいことです。
 一番真実に近そうな(真実であってほしいのかも)青木やよひさんのアントーニア説で決まりだと思っていたのですが、昨日、別人を推す本が出ていることを知りました。その本によると、Kはカールスバ―ドだけど、テプリッツから3日もかかるはずはないので、Kを通過してもっと遠くの町にいる女性に宛てたもので、それはヨゼフィーネだと。古山氏によると、当時は手紙を一晩留め置いて検閲していた、とのことなので、この著者はそのことを知らないのかと、信ぴょう性は?ですが、読んでみようと思います。
 久しぶりに恋文問題でエキサイトすることができました。ありがとうございました。
 

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

こちらこそ深掘り、熟考の機会をくださりありがとうございます。
ナカタ様は「ベートーヴェン命!」だということがわかりました。(笑)
引き続きよろしくお願いします!

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 「ベートーヴェン命!」まったくその通りです。バレました。岡本様は毎日のように、本当に幅広い音楽(にとどまらず芸術一般)を受容、享受されているので、こんなピンポイントなことでお手間をおかけするのはいかがなものか、と思うのですが、もし「いずれにせよいろいろな説を検証しながら考えてみたい」とのお言葉がまだ有効なら、こちらこそ、よろしくお願いいたします。

(「不滅の恋人への手紙」はベートーヴェンの手許から離れることはなかったのでは、と思うのです。受け取った人がいたなら、手紙を返すのは不自然に思われますし、ハイリゲンシュタットの遺書も出さずじまいでした。ベートーヴェンは、激情にかられてしたためた手紙や遺書を、なぜか相手に届けることに至らず、しかし記念碑として秘蔵していたのでは?と思う次第です。)

返信する
岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

はい、「不滅の恋人への手紙」に限らず、ベートーヴェンに関しては追究に価する音楽家だと思いますので、じっくり、ゆっくり取り組みたいと思います。ただ、本業ではないので時間はかかると思いますが・・・(笑)

ちなみに、「遺書」に関して言うと、ナカタ様の考えに同意します。最初から誰かに見せるつもりはなく、むしろ自分の心の整理のためにアウトプットしたもの、つまり、日記的なもののようですよね。まったく根拠のない直感ですが。

ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 岡本様の直感なら当たっていると思います! 「不滅の恋人への手紙」問題にじっくり、ゆっくり取り組んでくださること、楽しみが広がりました。ありがとうございます。

返信する
佐藤 彰

岡本様
突然ですが、この朝比奈隆指揮のミサソレのコーラスに関西学生混声合唱連盟の一員として参加した者です。たまたまGoogleでこの記事を見つけ、懐かしく拝見させて戴きました。
当時、立命館大学の混声合唱団に所属していたのがきっかけで大学2回生の7月に大阪フェスティバルホールのステージに上がりました。
約1年間の練習の末に迎えた本番でした。とにかく無我夢中で歌ったことを思い出します。この曲との出会いが、その後何度か中断した時期があったにせよ、今でも合唱を続けている原動力になっています。
宗教曲として、合唱曲として、ベートーベンの代表作として、私にとっては文字通り頂点に位置する曲です。
またお便りする機会ありましたらコメントさせていただきます。

(関西では大学の学年を「◯回生」といいます。今もそうかわかりませんが。)

返信する
岡本 浩和

>佐藤 彰 様

コメントをありがとうございます。
そうでしたか!
ブログを開設してから13年近くが経過しますが、時折朝比奈先生の実演で歌った経験をお持ちの方からコメントをいただくことがあります。そういうコメントを読むたびに羨ましさがこみ上げてきます。
僕も関西出身なので、大学を〇回生というのは存じておりました。(大学から東京なので実際に使用したことはありませんが・・・笑)

また何かありましたらコメントください。

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