シャーリー ヴェレット グラム ウェストブルック ストラヴィンスキー指揮ワシントン・オペラ・ソサエティ管&合唱団 ストラヴィンスキー オペラ=オラトリオ「エディプス王」(1961.1.20録音)

《セレナード・イ調》を終るや否や、私はなにか世界的に知られた題材による歌劇かオラトリオを考えていた。そうすれば筋によってみだされずに、その結果、歌詞と演技との双方になるであろう音楽そのものに、聴衆のすべての注意を集中させうるというのが私の考えであった。
(ストラヴィンスキー/大田黒元雄訳「自伝」)

イーゴリ・ストラヴィンスキーは20世紀の生んだ天才だった。
音楽の才を超え、(本人の意思とは別に)人間の深層に訴えかける作品を多く残した。
そして、時代の変遷とともに自らの主義を変化させ、時代の先取りをやってみせたのが最大の功績だったのだと僕は思う。

サロネンの「エディプス王」を聴いて思ふ サロネンの「エディプス王」を聴いて思ふ

オペラ=オラトリオ「エディプス王」は、1927年5月30日、パリのサラ・ベルナール劇場にてストラヴィンスキーの指揮によってオラトリオ形式で初演、1928年2月25日、ベルリンのクロール・オペラでオットー・クレンペラーの指揮によりオペラ形式で初演された。

ヘイワース クロール・オペラの公演のうちで、もっとも誇りをもって思い出されるのは何ですか。
クレンペラー わたしの意見では、芸術的にもっとも成功したのは『フィデリオ』『オイディプス王』『さまよえるオランダ人』『フィガロ』です。
ヘイワース クレンペラー博士、先生の歩まれた道をふりかえってごらんになったとき、クロール時代は先生の生涯のなかで芸術的にもっとも重要な時期だったでしょうか。
クレンペラー ええ、そのとおりです。

ピーター・ヘイワース編/佐藤章訳「クレンペラーとの対話」(白水社)P143-144

クロール・オペラの4年間は、クレンペラーにとっては手始めに過ぎなかったようだ。
現代音楽を採り上げ過ぎたことで、閉鎖に至ったとされるが、音楽家クレンペラーとしては重要な役割を果たしたことに違いない。

作曲者自作自演の「エディプス王」(新録)を聴いた。

・ストラヴィンスキー:オペラ=オラトリオ「エディプス王」(1926-27/1948改訂)
ジョージ・シャーリー(エディプス王、テノール)
シャーリー・ヴェレット(妻ヨカスタ、メゾソプラノ)
ドナルド・グラム(義弟クレオン、バス)
チェスター・ワトソン(予言者ティレシアス、バス)
ジョン・リアドン(使者、バス)
ローレン・ドリスコール(羊飼い、テノール)
ジョン・ウェストブルック(語り手)
イーゴリ・ストラヴィンスキー指揮ワシントン・オペラ・ソサエティ合唱団&管弦楽団(1961.1.20録音)
・音楽劇「洪水」(1961-62)
ローレンス・ハーヴェイ(語り手)
セバスティアン・キャボット(ノア)
エルザ・ランチェスター(ノアの妻)
ジョン・リアドン&ロバート・オリヴァー(神、バス)
リチャード・ロビンソン(大天使ルシファー、テノール)
ポール・トリップ(呼出し人)
グレッグ・スミス(合唱指揮)
ロバート・クラフト指揮コロンビア交響楽団(作曲者立会いの下)(1962.3.28-31録音)

ジャン・コクトーによるギリシャ悲劇の翻案。

第1幕「謎の解明と神託」
舞台は疫病が蔓延し、苦しむテーバイの町。市民たちは英雄であるエディプス王に救いを求めます。エディプス王は、義弟のクレオンをデルポイの神託のもとへ派遣します。
クレオンが持ち帰った神託は、「先代のラーイオス王を殺した犯人を追放すれば疫病は鎮まる」というものでした。エディプス王は、自分が犯人を見つけ出して裁くと市民に誓います。そして、盲目の預言者ティレシアスを呼び寄せますが、彼は真実を語ることを恐れて口をつぐんでしまいます。怒ったエディプス王は、クレオンが王位を狙ってティレシアスを操っているのではないかと疑心暗鬼になります。
第2幕「残酷な真実の判明と破滅」
妻であり王妃でもあるヨカスタが登場し、「予言などあてにならない」と告げてエディプス王を慰めようとします。彼女は、先代のラーイオス王は「自分の息子によって殺される」と予言されていたが、実際は三叉路で山賊に殺されたのだと語ります。その「三叉路」という言葉を聞いて、エディプス王は激しい動揺に襲われます。かつて自分が故郷を出た際、見知らぬ老人と口論になり殺害した場所と一致したからです。そこへ、エディプス王の故郷であるコリントスから使いがやってきて、コリントスの王が亡くなったことを伝えます。これによって「親を殺す」という神託は外れたと人々は安堵しますが、使者はさらに衝撃的な事実を告げます。実はエディプス王はコリントス王の実の息子ではなく、幼い頃に羊飼いから託された孤児だったのです。ついにすべてを悟ったヨカスタは、悲鳴を上げて宮殿の奥へ走り去り、自ら命を絶ちます。真実を追究したエディプス王もまた、ヨカスタの遺体からブローチを奪い、自らの両目を突き刺して盲目となります。絶望したエディプス王は、盲目の身でテーバイの町から追放されていくのでした。

因果・因縁の中にある世界は、どこまでも永遠に続く。
宇宙時間で秋の収穫の時期と言われる今、それは大清算の時期でもある。
すべてが明らかになり、自分がまいた種は自分が刈り取らねばならない。
因果は先延ばしできても無くすことはできないゆえ、何が起こっても対応できるだけの自分の心の器を限りなく大きくするしかない。
因果を超えるには心の中でも決して争わず、引っ掛からず、静かであれるかどうか。

悲劇は自らが招くものだということがわかる。
他人は誤魔化せても自分の心を誤魔化すことはできぬ。

音楽を付したストラヴィンスキーの筆致は、多くの聴衆が言葉を解せぬようにし、その上で実に楽天的なものだ。そこには人間の愚かさを嘲笑うかのような思念が漂う。
もちろんそれは自戒を込めてのことだろう。

それゆえに音楽はどこか寂しい。

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