光合成

心地よい朝である。
こういう日は窓を全開し、植物を表に出し、そして自分自身を開放するととても良い。
「自分という存在を忘れ、太陽と大地との一体化」−そういうイメージである。

モーツァルトのピアノ協奏曲第23番イ長調K.488を聴く。
ウィーンに居を構え、社会的にも絶賛を浴び心身とも充実していた絶頂期の作品である。
ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ&指揮)
フィルハーモニア管弦楽団

高校生の頃によく聴いたものだ。モーツァルトの音楽は「光と水」を想像させる何かがある。中でもこの曲は格別にその「味」がある。モーツァルトの音楽は「癒し」だといわれる。なるほど確かにそうかもしれない。「光と水」、つまり「太陽と大地」は生命にとって不可欠の要素だから。

ところで、アシュケナージという演奏家の音盤は普段滅多に聴かない。
旧ソ連が生んだ優秀なピアニストであり、指揮者としても有能な大音楽家。今やNHK交響楽団の音楽監督も務め、巨匠といっても過言ではない。しかし、あまりに優等生的なピアノなので安心感はあるが、決して面白みがあるものではない。つまり、すぐに飽きてしまうのだ。ところが、数多ある彼のレコーディングの中でこの曲だけは例外的に「最も聴きたくなる」モーツァルトなのである。下手な小細工をせず、ただ「モーツァルトの心」を感じ、音にしている。それが功を奏しているのかもしれない。

第1楽章、燦燦と輝く太陽から降り注ぐ「光の粒子」
第2楽章、森の木陰にひっそりと佇む「小川の流れ」、そして「水」
第3楽章、「光」と「水」の乱舞。

「生命」を感じる音楽である。
開放的である。

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