堕天使

mozart_streichquintett_smetana.jpg明日は第16回「早わかりクラシック音楽講座」の日。毎月1回のペースで開催し、すでに1年4ヶ月が経過する。お陰さまで毎々たくさんの方にご参加いただき、少しずつではあるが「クラシック音楽」の楽しみを理解していただける若者が増え、古典音楽愛好人口の裾野が広がっているようで嬉しい。今回はリクエストにお応えして、モーツァルト最後の交響曲、「ジュピター」をとりあげる。この大作は本当に聴けば聴くほど「深み」を味わえ、開放的でかつ凝縮された厳しさを体感できることが奇跡的だ。
ところで、「ジュピター」とは神話の世界で主神を表すが、堕天使ルシファーの別名だという説もある。聞くところによると今から3年ほど前(3次元レベルで)そのルシファーが創造主と和解し、光の世界に戻り「ルシフェル」になったという。「闇」の世界が崩壊し、「光」ある世界に移行していくということなのだろうか。いずれにせよ、「闇」があっての「光」。「光」は「光」だけでは存在し得ない。

今日も午前中1件、午後1件、カウンセリング・セッションを行った。その時にもクライアントさんにお話させていただいたが、人間も自分の「長所、短所」をしっかり認識し受容することが大事である。結局誰もが他人を許せていない、そして自分自身をも受け入れることができていない。自分の短所を責めるのである。しかしそうではない。人間の性質性格は表裏一体。「明暗」あり、「善悪」あり。その全てを理解し、許すことができたらどんなにか楽なことだろう。

モーツァルト:弦楽五重奏曲第6番変ホ長調K.614
スメタナ四重奏団
ヨゼフ・スーク(第1ヴィオラ)

モーツァルト最後の室内楽曲。晩年の貧困の中で書かれたとは到底思えない「明るさ」をもつ。こういう音楽を聴くと、神の子アマデウスはその最期に至ってやっと自分と父親を許せたのではないかと思える。まるで全てを包容し、覗き込むように微笑む姿の想像できる可愛らしさをもつ「赤子返り」のような音楽。それでいて「崇高さ」を失わない「神」の音楽。スメタナ四重奏団にスークが参加することでシナジーを生み出しているこの演奏の価値は計り知れない。

堕天使のことを書いていて、ふとKing Crimsonのラスト・アルバム「Red」を思い出した(ちなみに1980年以降のKing Crimsonは僕にとってKing Crimsonではない。もちろん80年代以降のCrimsonを否定するわけではないが、全く別のバンドだ)。Red、Fallen Angel、One More Red Nightmare、Providence、Starless、全5曲どれ一つとして駄作はない。中でも、Starlessはモーツァルトの晩年に通じる「崇高さ」と「透明感」のある傑作。そういえばこのアルバムの2曲目は「堕天使」だ。Robert Fripp恐るべし。

※先日雅之さんからお借りしたシェーファーの「月に憑かれたピエロ」の映像作品を観た。これは素晴らしい(シェーファーの演技も立派なものである)!アルベール・ジローの生み出す奇怪な詩に伴走するようにこれまたシュールな映像が綴られる妙味!カップリングのシューマン「詩人の恋」ともども釘付けになってしまった。特にシェーンベルクなどこういう前衛的な作品は解釈の是非はともかくとして映像付で聴くことをおススメする。これは「買い」に走ろう(笑)。

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