
クレンペラーの「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」については10年前に書いた通りであり、今もその印象は変わらない。
クレンペラーのワーグナー&R.シュトラウスを聴いて思ふ 他を冠絶するのは(誰が何と言おうと)やはりクナッパーツブッシュがウィーン・フィルと録音したものであり、それは一世一代の決定盤だと僕は思う。
150年前、バイロイトの奇蹟。
2年後にワーグナー自身が振り返った小論には次のようにある。
1876年の夏の真盛りに、ようやく上演に漕ぎつけた舞台祝祭劇の興行は外面的にはまことに華々しい経過を辿り、各方面に非常にセンセーションを巻き起こすにいたった。正直なところ、一人の芸術家がこれほどの栄誉を受けたことはいまだかつてなかったように思われた。それというのも、芸術家が皇帝や王侯のもとに呼ばれた例なら過去にいくらでもあるわけだが、皇帝や王侯の方が芸術家のところへ来たという話はいまだかつて聞いたことがないからである。ただその場合に、私の純芸術面での欲求は自作が各地で上演され、いつも大向うの喝采を博していることで十分に満たされているはずだから、私にこの事業を思い立たせたのはてっきり功名心の虫というやつにちがいない、と誰しも思ったかも知れない。事実、世人の目には完全に芸術家の縄張りの外にあるものが私をこの事業に駆り立てているように見えたらしく、現に来賓のお歴々の口から語られた私の勇気、なんぴとも—高位の人ほど—その成就を信じていなかった事業をついにやりとげた私の根気を称賛する言葉の端々には、明らかにそうした見方が看取されたのであった。社会の最上層に位する人びとは、予期に反して事業が日の目を見たことに一驚を喫したからこそ私に関心を寄せるようになったので、それを思い立った私の初志などはほとんど眼中にないことを私は思い知らされたのである。私の後楯になってくれた人びとにしても、そんな風に称賛の言葉をかけられれば万人も羨むほどの果報者、本人ももって瞑すべきであろう、と腹の中では考えていたのであった。来賓を迎えて挨拶を交わしたあとでは、そうした点について幻想を抱く余地はなかったと言っていいので、私の心中には、自分の手になる祝祭劇がこれほどまでに世間の耳目を集めたという事実—それ自体確かに身に余る光栄である—への驚きの思いだけが残されたのである。
三光長治訳「1876年の舞台祝祭劇を振り返って」(1878)
~三光長治監修「ワーグナー著作集5 宗教と芸術」(第三文明社)P91-92
実際には、第1回のバイロイト祝祭(杮落し)は大赤字となり、舞台そのものも決して評価は高くなく、ワーグナー自身は心的打撃を相当に受けたということだが、その無念をひっくり返さんと、あえて前向きに報告している点が(その事実を知っている後世の僕たちからすると)逆に痛々しい。
しかしながら、たとえ当時はそうであっても1世紀半という時間の経過の中で、ワーグナー芸術が人類にとっていかほどの至宝であるか、まさに、未来音楽であったか、僕たちはよく知っている。
20世紀の巨匠たちの創造するワーグナー音楽の美しさ、素晴らしさ。
(ここには大いなる感動がある)
久しぶりにオットー・クレンペラーを聴いた。
最晩年の「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」は、ノーマン・ベイリーの能天気な(?)歌唱は、牛歩のクレンペラー芸術に明朗な華を添える一助になっているかもしれないと、ここまで書いて思う。
(父ヴォータンの娘ブリュンヒルデへの断腸の思いは、むしろクレンペラーによる管弦楽によって見事に描かれる)
ヴォータンの心底には間違いなく愛がある。
この輝く2つの目よ、
この目はよく嵐の中でわしに輝いた、
すると憧れと希望がわしの心に燃え、
(世界を支配するという)荒々しい野心は消え
世の中を楽しみたいと思ったものだ!
今日の最後にも
この目よ、別れの口づけに際し
わしを元気づけておくれ!
~井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集2―《妖精》から《パルジファル》まで―」(水曜社)P104
クリスタ・ルートヴィヒを独唱に据えた「ヴェーゼンドンク歌曲集」と「イゾルデの愛の死」が殊の外素晴らしい。
若きルートヴィヒの歌にはほの暗い官能があり、このエロスこそが死と同化するものであり、それが続く「イゾルデの愛の死」に発展、同期しているところが奇蹟的。
「トリスタンとイゾルデ」のための習作たる第3曲「温室にて」には、「トリスタン」第3幕前奏曲が、第5曲「夢」には、「トリスタン」第2幕二重唱が木魂する。
