ブッダとテロリスト

buddha_and_the_terrorist.jpg以前仏教のこころをテーマにしたサティシュ・クマール著『もう殺さない―ブッダとテロリスト』を読んだ。殺人鬼アングリマーラが仏陀に諭され改心するも、被害者の遺族が彼を到底許すことができない、そういう葛藤の中で両者が最終的に歩み寄り、「許し」の重要性を真に教えてくれる良書であった。
その物語が脚本家の梶本恵美さんにより秋吉久美子さん主演の素晴らしい朗読劇として生まれ変わった。本郷にある東京都指定有形文化財求道会館での正味1時間半の舞台は、会場の雰囲気と相俟ってまさに神聖さと人間臭さの両方を感じとれる見事なものだった。
動きの少ない朗読劇であるからこそ、より一層内面に潜む想いが一言一句に表現されており、物語については隅から隅までわかっていたのでどうなのかとも思ったが、「人間がその想いを表現することの大切さ」をあらためて教えていただいたように思った。

元々この物語は、著者がニューヨークの9.11テロに遭遇し、「今こそ、平和へのメッセージを伝えたい」という想いから書かれたものであるそうだ。マハトマ・ガンディーの思想に共鳴した彼らしく、まさに「非暴力」を軸にした簡潔でわかりやすい物語になっている。

人は感謝の気持ちを忘れてついつい愚痴を言ってしまう生物である。「のに」という接続詞が口を突いた瞬間にエゴが頭をもたげる。そういえば、昔「Giving Tree(邦題:大きな木)」の話を聞いて、なるほどすごいなと感動する一方で、いやいや人間というもの残念ながら自身を犠牲にしてまで人の役に立ちたいなどとは心底は思えないものだろうと感じたことを思い出した。人間関係とは難しいものである。特にそれが近しい関係になればなるほど難易度が増す。

歌舞音曲禁止命令が解かれ(笑)、2月に開催予定の愛知とし子リサイタルのプログラムについて朝からいろいろ議論をしながら、いくつかのCDを聴いた。やはり僕にとって音楽はなくてはならないものである。夜、一仕事終え、気付けにレニングラード・フィルの音楽を・・・。

モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527~序曲(1968.11.29Live)
ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(1883年版)(1967.2.25Live)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

bruckner_7_mravinsky.jpg『Great Conductors of the 20th Century』からの1枚。
例によって鉄壁のアンサンブル。「ドン・ジョヴァンニ」序曲が出色。ただし、録音の関係なのだろうかブルックナーはいただけない。ブルックナー作品においては金管が常に重要な役割を果たすゆえ、レニングラード・フィルの金管咆哮が聴きもののように思えるのだが、いかんせんバランスが悪すぎる。特に第7交響曲に限って言えば、朝比奈先生の聖フローリアンでの演奏のようにどちらかというと弦主体の演奏のほうがより好みの僕にとってみればどうもこの演奏は「うるささ」が先にたって、ブルックナー本来の優美さが背後に回ってしまっているところが難のように感じられる。元々ムラヴィンスキーのブルックナーにはそれほどの期待はしていないものの、それでも神様ムラヴィンが舞台に立つわけだから、凡演になるはずもなかろうという淡い期待もわずかながらあった。期待はずれの名演奏とでも評しておこうか(いずれにせよ実演を聴かない限り良し悪しの判断はつかないので)。ちなみに、版は1883年のムラヴィンスキー・エディションとなっている。第2楽章のクライマックスでは打楽器が付け加えられているからノヴァーク版を主体にしているのだろう(シンバルは入っていないように思うが)。
この2枚組CDには、他にハイドンの第88番、チャイコの「フランチェスカ・ダ・リミニ」、グラズノフの第5交響曲も収録されている。ハイドンが素晴らしい。


4 COMMENTS

まーの

こんな私でも、チャンスがめぐって
ザンクト・フローリアンのブルックナーのオルガンを
弾かせていただきました。
本当に、人生のタイミングとチャンスに感謝です。

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雅之

おはようございます。
人間は、その生物としての生い立ちからも、「エゴ」が「エロ」と同じくらい本能(深層心理)であることは自明の理なのですが、その「本能」を自ら制御、律する知性と強い意思を持つことができるのも人間の素晴らしさですよね。
「エロ」はともかく「エゴ」が少なくなり、個性が薄まった昨今、指揮者がつまらなくなりました。音楽界にも、カラヤンのような「巨悪」がいなくなり、まるで朝青龍の休場した時の大相撲のようです(笑)。「水清ければ魚棲まず」です。
ムラヴィンスキーのブルックナーは、残念ながらあの録音ではよくわかりません。ムラヴィンスキーも「エゴ」の塊、「巨悪」のひとりです(笑)。
本日の私のブル7の対抗盤は、宇野教徒が名前を聞いただけで発狂する、もう一方の「巨悪」オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団で・・・。
こういうタイプの個性派指揮者も、今はいないでしょ! 違う曲でしたが、昔実演も聴きましたよ。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC7%E7%95%AA-%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3-%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%B3/dp/B00005HVNC/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=music&qid=1258408234&sr=8-2
あっ、この演奏について、聴きもしないのに、ついつい愚痴を言ってしまったでしょう。ピッピー(笛)、はい、その岡本さんの心も「エゴ」そのものです(笑)。
しかし趣味としての音楽やスポーツなどは、現実社会でのストレスの発散場所として、掛替えのないものです。思い切り「エゴ」をぶつけ合いたいものですね。
※まーの様の御体験は羨ましい限りです。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>音楽界にも、カラヤンのような「巨悪」がいなくなり、まるで朝青龍の休場した時の大相撲のようです(笑)。「水清ければ魚棲まず」です。
いいことおっしゃいます。ああいう個性はほんとになくなりましたね。
オーマンディのブル7!!!
確かに聴いておりません(笑)。ピッピー、ですね(笑)。よくお見通しで。
そうですか、オーマンディの実演を聴かれているんですね。やっぱ80年代に今は亡き大御所たちをいろいろと聴いておくべきでした(涙)。
>趣味としての音楽やスポーツなどは、現実社会でのストレスの発散場所として、掛替えのないものです。思い切り「エゴ」をぶつけ合いたいものですね。
同感です。

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