
クラウディオ・アバドのヴェルディ歌劇序曲集。
ロンドン響時代のアバドの録音は、例のモーツァルトの第40番と第41番「ジュピター」を初めて聴いたときに感銘を受け、以来、どれをとっても素晴らしい成果を挙げていると思ったときからいろいろと聴き続けている。
半世紀近くを経た今も、相変わらず録音史上に燦然と輝く人類の至宝だ。
ヴェルディのような意志の堅い男が他人の言葉に左右されるとも思わないが、とにかくこの序曲に関しては、特に英国系の音楽学者から、オペラの中の旋律をごちゃごちゃに入れた雑な曲という評がよくなされている。しかしよく分析してみると決してそうではなく、基本的には〈イズマエーレの裏切りに対する怒りの合唱〉を中心とした立派な構成をもつ曲である。
~永竹由幸「ヴェルディのオペラ 全作品の魅力を探る」(音楽之友社)P48
「ナブッコ」序曲。人間の心理を、あるいは事象を音楽で見事に描写することができたヴェルディの天才。
音楽以上に、鮮烈な棒によって、楽の音に命を吹き込んだアバドの棒の素晴らしさ。
再現芸術の美しさを、そしてオペラの筋書きを数分の序曲に詰め込んだ作曲家の力量に感動を覚える。
続く「アイーダ」の、通常の前奏曲ではない、後にトスカニーニによって再演された大規模な序曲は、アバドによってあらためて発見、蘇演されたものだが、聴きなれたフレーズに続いて、オペラの要所が絡み出し、実に面白い。
(価値ある初レコーディング!)
冒頭少しを聴くだけでヴェルディの世界に惹き込まれるのだからアバドはやっぱりすごい。
そして、「運命の力」序曲。
最初に金管で主音を3回叩きつけるところは一般的にはベートーヴェンの第5交響曲のように「かく運命の扉は叩かれる」と解釈されるが、初演の時指揮者マリアーニがフォルティッシモで演奏したのを聴いたヴェルディは、「このやり方については了承しがたい。金管はメッツォ・ヴォーチェで演奏されるべきである。私のスコアにはそう書かれている・・・これは修道士たちの宗教的な祈りの歌を表したものだから」と書いている。確かにスコアにはfと示されており、ffでもfffでもない。ヴェルディはさらに続けて「マリアーニのffはパッセージの性格を完全に変え、戦争のファンファーレのようになってしまっている。それではこのドラマの内容と関係がなくなってしまう。このオペラでは戦争の場面は完全にエピソードなのだから」と述べている。こうしてみると現在の演奏はほぼ100%ヴェルディの意に反した演奏になっているようだ。
~同上書P350
指摘の通り、アバドの演奏も高らかなファンファーレを奏させるが、それでもこの序曲はオペラの全体を巧みに表現したものであることを見通し良く知らせてくれる演奏として最右翼に位置するものだ。アルヴァーロの呪い、あるいはレオノーラの後悔と祈り、そして改悛。アバドの表現は、ヴェルディの本意を見事になぞるもので、実に敬虔だ。
失敗作「スティッフェーリオ」を書き直したのが「アロルド」。
序曲はほとんど同じのようだ。(正直、あまり面白い曲ではない)
さらには、「ルイーザ・ミラー」序曲。
とにかくこのモノ・テーマを展開させ、ウェーバーばりの音楽を繰り広げる。多分ヴェルディはパリで《魔弾の射手》や《オベロン》を聴いたのであろう。《オベロン》の序曲に似たパッセージがいくつかあり、あるパッセージでは《魔弾の射手》と同じパッセージが2小節出てくる。ヴェルディの序曲の中では秀逸な曲である。ドイツ人と張り合ったのかもしれない。
~同上書P203
「ドイツ人と張り合ったのでは?」という永竹さんの推察がまた絶妙だ!
掉尾を飾る「シチリアの晩鐘」。
相変わらずヴェルディらしいドラマの描写が巧みで、かつ音楽的な表情に感動する。
序奏部のテーマはシチリア人たちが女を奪われ、恥辱だと歯ぎしりする時のリズムから取られており、続く木管の虚ろな響きは、第4幕で舞台裏から聞こえてくる修道士たちの合唱から取られている。この復讐のリズムは同時に死のリズムでもありこれはこの曲だけでなく《マクベス》にも《ラ・トラヴィアータ》にも使われているヴェルディの共通したリズムである。
~同上書P296
すべてが劇的な中にある、咆哮する瞬間と静けさと安寧の内に佇む両極を示す、音楽というエネルギーの宝庫。不滅のアルバムだ。

