
シュトラウスは、ブラームスからのすすめもあって、1886年4月から8月までイタリアに旅行している。そして8月にミュンヘンの宮廷劇場の第3指揮者に就任した。それと並行して、旅行の印象をもとに《イタリアより》を書きあげ、作品18のヴァイオリン・ソナタも作曲した。それと同じころに、《マクベス》を書きはじめ、一応つくりあげた。1888年秋にシュトラウスは、つぎのようにのべている。「《マクベス》は、かつてはしばらくの間、私の机のなかにしまわれて休んでいた。・・・いまや《マクベス》は、自分の芸術的な思考と感覚を適切に表明していて、これまで書いてきた作品のなかでもっとも独創的な作品となっている」。
~「作曲家別名曲解説ライブラリー9 リヒャルト・シュトラウス」(音楽之友社)P37
シュトラウスはこの音楽で、シェイクスピアの物語を忠実に追ったわけではない。
むしろ登場人物の心理を重視したものだった。
いかにもドイツ的な、目に見えない人間の心を何とか音化しようと試みたシュトラウスの信念は、決して成功作とはいえないまでも、ビューローの忠告を受けて改訂が施され、1889年に決定稿が完成した。
個人的には、後の「ドン・ファン」や「死と変容」に通じる、いかにもシュトラウスらしい音調をすでに開花させ始めているところに、巨匠の天才を思うのである。
ルドルフ・ケンペのシュトラウス管弦楽曲集は、いずれも古色蒼然とした響きを保ち、録音から半世紀以上を経過した今もって代表的録音だ。
シェイクスピアの「マクベス」が、世界の真実を説く物語だとするなら、その真実を、登場人物の心理を描くことで証明しようとしたシュトラウスの至高の音詩だといえまいか。そして、その心理を忠実に再現せんとするケンペの棒には、いかにもシュトラウスの魂が乗り移っているかのように思われる。
この時、マクベスは始めて孤独を予感する。個人の権威とは、その生涯の業績とは、所詮、影のごとく幻のごとく、頼りなくはかないものでしかない。続けて彼は言う
—
あすが来、あすが去り、そしてまたあすが、こうして一日一日と小きざみに、時の階を滑り落ちて行く、この世の終りに辿り着くまで。いつも、きのうという日が、愚か者の塵にまみれて死ぬ道筋を照らしてきたのだ。消えろ、消えろ、つかの間の燈し火! 人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ。(第5幕第5場)
(福田恆存「解題」)
~シェイクスピア作/福田恒存訳「マクベス」(新潮文庫)P169-170
リヒャルト・シュトラウス:
・交響的幻想曲「イタリアより」作品16(1974.3.6-16録音)
・交響詩「マクベス」作品23(1973.1.1-5録音)
ルドルフ・ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
マクダフの勝利の行進曲で終わっていた作品を、ビューローの忠告に従ってマクベスの死で終わらせた、(決定稿の)最後のところが実に印象的。
シェイクスピアの当時、否、シュトラウスの当時も、真実は表にされなかった。
この世が幻であることを見極めていたとてそこから免れることはできなかった。
しかし、ケンペの時代は違った。世界は1世紀前と確実に変わっていた。
マクベスの死が何と安寧を得て、静けさに溢れていることか。
(ケンペはおそらくそのことは知らなかったはずだが)


