ロンドン クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第3幕から「迷いだ!迷いだ!どこも迷いだ!」ほか(1958.6録音)

リヒャルト・ワーグナーの創造の原理は、自己内省、内観から発露されるものだろう。
それゆえに、彼の楽劇は、基本的に自己内観のための道具の一つなのだろうと思う。
1881年、ワーグナーは「汝自身を知れ」と綴る。
(楽劇の登場人物それぞれに語らせる言葉はいずれも重い)

あの偉大なカントが私たちに教えているのは、世界を認識する欲求よりも自己の認識能力の批判の方を優先させることだった。そのため私たちは世界の実在についてまったき混迷に陥ったのだが、ショーペンハウアーはさらに一歩踏み込んで、私たちの認識能力ではなく、すべての認識に先立つ自身の意志を批判の対象にして、世界それ自体を見誤ることなく確実に推論することを教えたのだった。「汝自身を知れ、そうすればおまえは世界を認識したことになる」—そのようにピュティアは語った。「おまえの周囲を見回すがよい。汝はそのすべてなり」—そのように婆羅門は語った。
「汝自身を知れ」(1881年)
三光長治監修「ワーグナー著作集5 宗教と芸術」(第三文明社)P295

少なくとも芸術家たるワーグナーは、事の道理が腑に落ちていたことがわかる。
しかし、時期尚早だったのか、理解したことを実践することはままならなかったのだと思われる。

答はすべて私の中にある。
そして、すべては私の心が生み出したものなのだ。

ロンドン クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル ワーグナー 楽劇「ワルキューレ」よりヴォータンの告別と魔の炎の音楽ほか(1958.6録音) クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルのワーグナー管弦楽曲集(1956-59録音)を聴いて思ふ クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルのワーグナー管弦楽曲集(1956-59録音)を聴いて思ふ ジョージ・ロンドン・シングス・ワーグナーを聴いて思ふ ジョージ・ロンドン・シングス・ワーグナーを聴いて思ふ

ぼくはこのアルバムをしばしば取り出して聴く。
ここにはクナッパーツブッシュの最良の記録があり、ワーグナーという作曲家の真髄が詰まっていると思うからだ。楽劇「ワルキューレ」終幕「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」に至っては、未だこれを凌駕するものはない。
(レコード史上屈指の録音の一つ)
(願わくばクナッパーツブッシュに楽劇「神々の黄昏」終幕「ブリュンヒルデの自己犠牲」のセッション録音を残しておいてほしかった)
(フルトヴェングラーがフラグスタートと残した2つのセッション録音は人類の至宝だといえるが、おそらくそれと比肩する、否、凌駕するであろう組み合わせは、クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルしかないだろう。ブリュンヒルデを歌うのはもちろんキルステン・フラグスタートだ)

ジョージ・ロンドン グレート・シーンズ・フロム・ワーグナー
・歌劇「さまよえるオランダ人」第1幕から
期限は切れた
・楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から
第2幕ザックスのモノローグ「リラの花が何と柔らかく、また強く」
第3幕「迷いだ!迷いだ!どこも迷いだ!」
・楽劇「ワルキューレ」第3幕から
「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」
ジョージ・ロンドン(バス・バリトン)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1958.6.9-11録音)

ハンス・ザックスの言葉が染みる。

迷いだ! 迷いだ!
どこも迷いだ!
町の記録や世界の年代記、
そういうものに渡しは目を通し、
なぜ世間の人は、わけもなく、
激しい怒りに襲われて、
血を流すまでに闘い、
苦しむのか?
その原因を究めてみると、
結局すべては迷妄なのだ。

(渡辺護訳)

もはやこれこそが真理と言えまいか。
ここで奏でられる音楽の儚い響きは、それ自体幻想であることを示す。
何よりジョージ・ロンドンの確信的な歌唱は、幻を現実化する。

夢か現か、すべては夢でもあり、また現実でもあることを知らねばならぬ。
煩悩即菩提なり。

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