
世界を動かしている根源的な力の理解、これが彼の詩の出発だった。彼はそれを、生成と破壊という二つの力に見た。この二つの力の弁証法的運動によってマクロコスモスとしての世界は動かされ、同時にミクロコスモスとしての人間も同じように動かされるとするのである。すなわち、世界が一つの有機体であり、人間も一つの有機体であるとすれば、そのとき人間は世界の一部として運動に参加しているがゆえに、人間の生き方というものは、そのまま世界の根源的な運動の相である生成と破壊の弁証法的な発展過程に表されていると見たのである。
~松田幸雄訳「ディラン・トマス全詩集」(青土社)P432
ディラン・トマスの世界は、道を何とか体得せんとしたもののようにも見える。
それはそのまま「中庸」にある「天の命ずる之を性と謂い、性に率がう之を道と謂う」に通ずるようだ。
しかし、彼の「生成と破壊」論は本質的には弁証法的ではない。実体は、時間の大きな流れのなかで生成の動きはすでに破壊の種子を含み、破壊の動きははや生成の種子を含んでいるといった、連続的な運動だった。彼はそれを思想として把握していたのではなく、感覚的に認識していた。
~同上書P432
相対のこの世界が仮ものであることを彼はわかっていた。
だからこそ真理、道、一を探し求めて詩を書き綴ったのだと思う。
1934年、20歳のディランは、2月、パメラに会いに初めてロンドンに行った。
親密な交際が続いたが、ディランは「もっとイットがあるもの」、パメラは「もっとイットがないもの」を相手に求めていたので、結婚は断念したようだ。
これぞ、真逆の夫婦の形態であり、宇宙の真理なのである。
同年5月25日、ロンドンでグスターヴ・ホルストが亡くなっている。
ワーグナーとシュトラウスに影響を受けたホルストが書いた、有名な組曲「惑星」は、それこそ(標題通り)マクロコスモスとミクロコスモスの「つながり」を音化した傑作だと思う。
デュトワ指揮モントリオール響のホルスト「惑星」(1986.6録音)ほかを聴いて思ふ
録音から40年、シャルル・デュトワの名盤を聴く。
デュトワは呼吸を、パルスを音楽に巧みに連動させる。
明朗な、本性からの慈愛を見事に投影させる術を知っているのかどうなのか、生み出す音楽はどんなときも生き生きとする。
第一次大戦前の、道が公開普伝になったその頃に、占星術からインスピレーションを受けたホルストの偉大なる作品は、本人が指摘するように標題音楽ではない。各曲のタイトルそのものは重視すべきだが、それよりも音楽そのものに純粋に耳を傾けなければならない。
その意味で、初演者ボールトのもの、あるいは人口に膾炙したカラヤンのもの、いずれをも凌駕するのが(私見では)デュトワなのである。
ぼくは木々を見て夏を知るのだが、
虫であるなら、冬の嵐とか
太陽の終焉を告げるがいい、
ぼくは郭公の声で春を知る、
それならナメクジはぼくに破壊を教えるがいい。
一匹の虫は時計よりもよく夏を知らせる、
ナメクジは生きている日暦だ—
時間をもたぬ昆虫が世界は衰えていくと言うならば、
それはぼくに何を告げようとしているのか?
「この春ここで」
~同上書P100-101
ディラン・トマスの詩は深い。

