
来年はベートーヴェンの没後200年記念の年になる。
1827年3月26日に逝去したベートーヴェンは、死の直前までロンドン・フィルハーモニック協会への感謝のしるしに新たな交響曲か新たな序曲を書かねばならないと考えていたようだ。その不屈の創造力、意志に驚嘆せざるを得ない。
3月23日 医師団の最後の回診、古代ローマ喜劇から引用したラテン語で遺言
「友よ、喝采のほどを、喜劇は終わった」を語ったとされる。
3月24日の夕方、ベートーヴェンは意識を失った。
そして、3月26日の17時45分頃、この世を去ったのである。
3月29日 15時に葬儀、その何時間も前からシュヴァルツシュパニアー・ハウスの前にたくさんの人々が集まり始め、増える一方で2万人に及んだと言われる。
諸学校は休校となり、秩序維持のためにブロイニングは軍隊の出動を要請。
中庭で、聖歌隊によって故人作曲のミゼレーレ(4トロンボーンのための“エクアーレ”WoO30にI.ザイフリートが歌詞を付けて男声合唱用に拡大、ザイフリートの作品が歌われた。
4月3日 葬儀がアウグスティナー教会で行なわれ、モーツァルト:《レクイエム》の演奏。
4月5日 カールス協会でもういちど追悼式、ケルビーニ:《レクイエム》の演奏。
~大崎滋生著「ベートーヴェン 完全詳細年譜」(春秋社)P537-538
葬儀が(国葬並みの?)大変な騒ぎだったことがわかる。
当時のウィーン人の中にあって、ベートーヴェンの存在がいかに大きいものだったか。
まさに「楽聖」と呼ばれるに相応しい人物だったということだ。
(西洋音楽史にあって唯一済渡された人だけある)
ケルビーニ万歳! もう15年以上も前のことになる。
本ブログでのやりとりをきっかけに、オフ会などで音楽談議に花を咲かせるようになった方から「意外なのはクラウス・テンシュテットがほぼ採り上げられないことです」と言われ、「ジュピター」交響曲の超絶名演奏の音盤を渡されたことがあった。
個人的にはほぼ無視していたと言っても良い。
今となってはもはや新たに録音を集め、集中して聴くという気力も随分下がったものだから、残念ながらテンシュテットに関しては何かを語るほどの能力を僕は持っていない。
「ジュピター」交響曲は確かに超絶名演奏だった。
音楽にジャンルは関係ない! そして、数ヶ月前、何かの記事で読んだテンシュテットのベートーヴェンのことが気になり、早速その音盤を手に入れたのである。それは、果して恐るべき逸品だった。痺れた!
クラウス・テンシュテットは出来、不出来の激しい指揮者だったらしい。
それに、彼の芸術はおそらくマイクには入りきらないのだろうと思う。今となっては実演に触れる機会を逸したことが悔やまれるが、それでもこういう伝説的録音を体験できたことだけでもありがたいと、今の、誰もが簡単に必要な情報にアクセスできる恩恵に感謝したい。
途轍もない集中力と、火を噴く勢いのハ短調交響曲は、生命力滾るベートーヴェンの真骨頂。
一番は、楽章ごとのメリハリを利かせた解釈だろうか。これほど動的であり、またこれほど静的な第5交響曲は聴いたことがないくらい、思わず引き込まれてしまう。
(当時、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と密接な関係にあったフランツ・ヴェルザー=メストの演奏と比較し)「タイムズ」誌の評論家バリー・ミリントンは、「エグモント」序曲に関し、テンシュテットが「驚くほど異なる結果」をもたらしたと指摘している。ヴェルザー=メストの演奏は「華麗で、刺激的で演劇的であった」のに対して、テンシュテットは作品のより豊かな側面を掘り下げ、ゲーテの悲劇の「フィデリオに関係する主題」、すなわち抑圧的な専制政治に対する英雄的な勝利の核心に迫ったとしたのである。テンシュテットの手にかかると、長調のコーダは「単なる生と死の問題ではなく、死に対する勝利という問題になった」のだ。
(デイヴィッド・パットモア)
また、同じく「タイムズ」紙の評論家ノエル・グッドウィンは、交響曲第5番については、次のように報告しているようだ。
規律と推進力は健在だが、それに加え、よりダイナミックな表現力を湛え、より個人的で、かつ非常に効果的な身振りがなされた。同じく「タイムズ」紙の評論家ノエル・グッドウィンの言葉を借りれば、「この演奏を聴いた者は幸運だった・・・それは何か新しいことが表現されたからではなく、テンシュテットが作品の浪漫性をより的確に再生するのにエネルギーを注ぎ込み、しかもそれを見事に成し遂げていた」。逆境をものともしない音楽の感覚、そこには指揮者の病気との不屈の闘いが反映されているようにも思えた。
(デイヴィッド・パットモア)
終楽章アレグロの爆発は、まさに皆大歓喜の象徴であり、コーダの推進力と追い込みは聴衆に多大な興奮を与える、素晴らしい演奏だ。(そのことは終演後の圧倒的拍手喝采の嵐が如実に物語っている)
