
昭和63年12月から平成元年5月にかけて催された“朝比奈隆/ベートーヴェン・チクルス”が終了してしばらく経ったある日、朝比奈先生とのお話しの中で、「”第九“を12月ではない時期にじっくり演ってみたい。」とのご意向が有り、先生とNJPとの限られた時間の中でいつか実現せねばと考えていた。1992年にNJPは創立20周年を迎え、その記念事業の中心に、小澤征爾指揮による第200回定期演奏会を6月に開催することで準備を進めていたが、小澤征爾が両肩関節周囲炎のため出演不能となり、この特別な意味を持つ定期には、朝比奈vs”第九“しかないと考え、先生にご無理をお願いして実現のはこびとなった。ソリスト、コーラスの手配等、準備にごく限られた時間しかなく、いわゆる”火事場の何とやら“という力仕事になり、オーケストラも多少浮き足立ったが、結果は堂々たる演奏となった。
(新日本フィルハーモニー交響楽団・事務局長 松原千代繁)
~FOCD9045/7プロデューサーノート
1992年の朝比奈隆。
朝比奈は大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督として精力的に活動し、(健康不安を抱えつつも)音楽面においては充実の年を送っていた。そんな中、7月、待遇面などで(数年前より)不満を募らせていた大阪フィルの楽団員が定期演奏会のリハーサルをボイコットするという騒動が起こった。オーケストラが朝比奈の指揮棒に反応せず、演奏をしないという集団行動を起こしたのである。その上、大フィル側からは中堅の実力派奏者が「大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)」へ移籍するなど、楽団内の過渡期・緊迫した時期が重なっていたことも手伝って、労働組合を結成した楽団員側と、トップである朝比奈隆との間の溝が深まっていた。
一方、在京オーケストラである(「顧問」という特別ポストにあった)新日本フィルハーモニー交響楽団との関係はどうだったのか?
朝比奈と新日本フィルの関係は、極めて良好かつ、音楽史に残るほど非常に充実した黄金期を迎えていた。本拠地である大阪フィルとの緊迫した労使関係とは対照的に、東京での新日本フィルとの活動は、朝比奈にとって「もう一つの重要な音楽的拠点」として極めて幸福なものだったといえる。
この年、僕は何度も新日本フィルとのコンサートに足を運んだ。
(公演のたびに、途轍もない感動を喚起されたことを思い出す)
当時の新日本フィルとの名演奏。
7月のボイコット騒動の前後、すなわち5月と9月には、新日本フィルとの伝説的なブルックナー選集が開催され、6月の定期ではベートーヴェンの「第九」が、さらに12月には「ミサ・ソレムニス」が採り上げられたのである。
(そのすべての実演を聴くことができた僕は幸せ者だ)
東京文化会館でのライヴ録音。
昭和63年12月の「第九」に僕は心底感動したが、そのときとはまたうって変わってテンポも速くなり、一層の推進力でもって演奏される様子に、朝比奈隆の進化と心身の充実度が手に取るように見える。
おそらくほとんど準備時間がない中での急ごしらえであったのかもしれないが、「第九」とあっては朝比奈の十八番であり、むしろそれゆえの即興性がこのときの定期演奏会を一大モニュメントとした感がある。
それほどに演奏は即興的で、熱い。
楽章を追うごとに熱気を帯びる様子、そして終楽章コーダの追い込みは、オーケストラとの蜜月具合いを知らしめる画期的瞬間であり、創立20周年の記念すべき金字塔だ。



岡本浩和さま
朝比奈隆さんも、晩年には大阪フィルのアンチ派の楽員諸氏と内紛が起こり、《不協和音》が鳴っていたわけなのですね。
まぁ、長きに渡り《音楽総監督》の地位にお座りになっておいでだと、独裁的になり『逆らう者には、容赦せぬぞ。』的態度になり、アンチ派の楽員諸氏から見ると、前時代的な独裁者に映り、リハーサルのボイコット、当時の大阪センチュリー交響楽団への移籍と、楽員諸氏からの実力行使に出られてしまったのですね。
楽員諸氏の立場からすると、『弾いて奏でているのは、俺たち。どうして、あの爺さんばかりが、称賛の的や人気を博する対象に、なるんだ?』との思いを抱いても、何ら不思議では、ないですし…。
それに1990年代まで、大阪フィルハーモニー交響楽団に、労働組合が結成されていなかったのも、少なからぬ驚きでございました。
>高岡拓也様
90年代の初めにあっても組合もなかったというのは確かに驚くべき事実ですね。
それに、おっしゃるように長年トップに君臨していると、朝比奈御大といえども独裁的になり、メンバーからは疎まれるような情況にも陥ってしまうのだと思われます。
あるいは、ご子息の千足さんがどこかで語っていらっしゃいましたが「親父はとにかく厳格で、殴られて育った」そうですので、朝比奈さんも長年のメンバーに対してはそういう面も見せていたのかもしれません。
ちなみに、この年11月の大フィル欧州ツアーでのベートーヴェンの7番の終演後、カーテンコールに応える朝比奈御大は涙をこぼしていたと言います。もちろん本人が最高の名演奏だったと演奏者を讃える思いもあったのでしょうが、オーケストラとの間の諸問題に苦悩していた当時の状態の裏返しとして、安堵の気持ちから思わず涙が出たのだろうという推測もあるようです。
https://note.com/choku_tn/n/n5cd8ff73d4c0
(参考までに)
音楽を奏でる、その感動の背景にはいろいろありますね。
人間ですから・・・(笑)。
音楽の面白さはそういう目に見えないところにもあるかと思います。
ありがとうございます。