
この作品に属するすべての部分曲が今日Op.72として表記されるのに対して、唯一の例外が《レオノーレ》序曲第1番である。それだけが《フィデリオ》からあたかも独立した作品であるかのような印象を与えているのは、新発見の序曲が新たな版権を伴って1833年にハスリンガー社から出版されたからであった。そしてそのときに、Op.138という最後の作品番号が付されたので、今日までこの序曲だけが独立した作品番号を有するという特別な事態が生まれたのである。
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築1」(春秋社)P213
フロレスタンのアリアからの旋律などが顔を出し、歌劇の序曲としては重くもなく、明快で素晴らしい。
歌劇「レオノーレ」、あるいは歌劇「フィデリオ」にまつわる不思議。
最終的な改訂作業に際し、新たに「フィデリオ」序曲が作曲されたが、それ以前にプラハで再演の可能性が出たときに書かれたとされる「レオノーレ」序曲第1番はなぜ採用されなかったのか? 音楽的にはむしろこちらの方が上等だと僕は思うのだが。
1806年の改訂上演の際には好ましい反応も見られたと伝えられるのに、《レオノーレ/フィデリオ》はさしあたって舞台から完全に消えたのはなぜか。後世は初演失敗の原因をナポレオン軍のヴィーン占領の影響に限っていないだろうか。そして1807年あるいは08年にプラハで上演する可能性が出たとき、序曲(《レオノーレ》序曲第1番(Op.138)だけを改めて書いたことも謎に包まれている。
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P582
僕たちは想像するより他ないのだが、ベートーヴェンは序曲の出来に満足していなかったとも言われる(そんなはずはないと僕は思うのだが)。あるいは、そもそもプラハでの再演の話が本当に持ち上がったのか? もし持ち上がったならなぜ中止になったのか? そのあたりは今も究明されていないようだが、少なくとも言えることは、ベートーヴェンが歌劇「レオノーレ」を重要視していたこと、とにかく一刻も早く世界に届けんと焦っていただろうことだ。
モーツァルトの歌劇「魔笛」同様、ここには人類救済のための大きな決意と覚悟、そして、日に「第九」や「ミサ・ソレムニス」に託した「皆大歓喜」の思想の萌芽が読み取れるのである。
オットー・クレンペラーの指揮した「レオノーレ」序曲第1番には2種の録音が残されている。その最初のものを聴いた。
ベートーヴェンにとってハ長調は解決の調性であり、「第九」の相似形ともいえる「合唱幻想曲」はハ長調、そしてもちろん「レオノーレ」や「フィデリオ」は解放や救済をテーマとしており、そこには世界の平和を希求するベートーヴェンの思いが刻印されているのではないかとも考えられる。その意味で、祝祭的な雰囲気を先取りしたであろう序曲第1番は実に相応しい音楽だと僕は思うのだ(第2番も第3番もその意味では同じだけれど、祝祭的雰囲気という点では第1番が最右翼か。一方、「フィデリオ」序曲の調性はホ長調)。
ところで、クレンペラーは「フィデリオ」を得意としたが、諸々のエピソードが面白い。
わたしの指揮した最初のオペラは『フィデリオ』でした。プフィッツナーは最後の場面のはじめの部分を、大臣の最初の言葉「国王陛下の思し召しにより」(Des bestens Königs Wink und Wille)まで全部カットする習慣でした。彼ははじめのコーラスがあまりにきまじめすぎると思ったのです。じつに馬鹿げたことです。もちろん、わたしはそのカットをもとにもどしました。ところが、プフィッツナーが大騒ぎを起こした。プフィッツナーは、わたしは彼の代理にすぎないのだから、彼のやったとおりにやらなければいけないと言うのです。「きみはわたしの版でやらなきゃいかん」とプフィッツナーは言いましたが、わたしは「わたしはベートーヴェンの版をやっているのです」と答えました。
~ピーター・ヘイワース編/佐藤章訳「クレンペラーとの対話」(白水社)P82
改竄ともいえるほどのカットやアレンジを繰り返したクレンペラーが何を言う、という感じだが、きっとこの対話のときは彼も平常心を保てていたのだろうと思う。
ちなみに、このときの話にも実はオチがある。
ケルンのオーケストラはすばらしいものでしたが、その他の点ではまぎれもないレパートリー劇場(専属の劇団をもち、ひとつの出し物を長期間つづけて上演することをせず、幾種類もの出し物をかわるがわる上演する劇場)でした。毎日ちがったオペラを、どれも満足なリハーサルもせずに、上演していたのです。わたしは1917年の9月に『フィデリオ』で仕事をはじめました。劇場の監督だったフリッツ・レモント—往年のワーグナー歌手(テノール)—が演出しましたが、ひどいものでした。わたしははじめて、プフィッツナーの演出を拒否した自分が間違っていたことを悟ったのです。そのシーズンはいつもレモントが演出したので、終始不愉快でした。彼の握っていた権力が、結局7年後にわたしがやめる理由となったのです。
~同上書P84
プフィッツナーの見解にも理由があったということだ。
プフィッツナーが頑固のように見えて、実は自分が頑固だったことにクレンペラーは気づいただろうか。
これは、歌劇「魔笛」の第1幕と第2幕の間に起こるパラダイムと同様だ。
音楽の場合、創造者と再生者との間にある齟齬をいかに埋めるか。その埋め方は、十人十色であり、かつ、与えられた環境にも左右される。(人は得てして自分の視点からしか物事が見えていない)
クレンペラーには、「フィデリオ/レオノーレ」に関する序曲の再録がある。
後年になるに従い、いかにもクレンペラーという重厚で微動だにしない解釈になっていくが、1954年のモノラル録音は、より人口に膾炙した、並のテンポとアーティキュレーションで解釈された、とっておきの録音だ。
(何とこの数日後にフルトヴェングラーが亡くなるのだが)
「レオノーレ」序曲第2番も渾身の名演奏。

