本日感じたこといろいろ

何事も感情的にならないこと。
少しばかり確認を怠ったことが原因で仕事上のミスを招くことがあった。言った、言わない、聞いた、聞いていないという話に発展するともう水掛け論。それに契約書にはこう書かれているといわれれば為す術なし。ともかく冷静に物事に対処してゆくのがベストだとあらためて感じる。

ここのところ大学の後期授業の打ち合わせが立て続け。就職活動に際して、クリティカル・シンキングやデータベース・シンキングの重要性を教示し、できるだけ低学年時からそういう思考回路を身に着けるよう促すことがポイント。確かにそれは必要。

「人間の行動は背後にある動機を強める」というが、人のモティベーションなんていうのは本当に水もの。思ったが吉日という言葉があるが、とにかく即座に行動を起こさねばすべてが水泡に帰す。

未来に答はあるのだろうか?どんな選択をしても「いずれこうなる」と自分自身が思い描くものがあるならどんな道を通っても必ずそうなるはず。それが遠回りかショートカットか、それはわからずとも心配せず直感のままに動いた方が良い。今自分がいる場所、環境を変えてみることで状況が一変することは多々あるので思い切って動くのがベター。

仕事の相談、転職の相談、はたまたプライベートの相談、いろんな相談を受けるが情報を得れば得るほど結局迷いが生じるだけ。自分の内なる声を信じるのがベスト。まぁでもそれには自分の感覚を日頃から磨いておかないといけないのだけれど・・・。

こんな日は「落ち着け、落ち着け・・・」とモーツァルト。それも最晩年の澄み切った作品を(作曲者当人は困窮の最中でとにかく食べるものにも困って作曲の筆を執り続けた悲痛な状態のものが多いのだけれど)。

モーツァルト:
・弦楽四重奏曲第22番変ロ長調「プロシャ王第2番」K.589
・弦楽四重奏曲第23番ヘ長調「プロシャ王第3番」K.590
アルバン・ベルク四重奏団

いずれも1790年、死の前年の作品。本来なら愉悦的な響きのパートにおいても悲哀の心情が見て取れ、そこがまたモーツァルトの「光と翳」の対比が明らかで、このあたりの作品のもつ人間的、あるいは宇宙規模のエネルギーが堪らない。繰り返し聴くほどにその感が増す。本日も感謝の一日。


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