ピーター・ゼルキン ピアノ・リサイタル

少しばかり初秋の匂いが立ち込めつつある葉月最後の日に、初台にてピーター・ゼルキンを聴く。当初の予定から若干プログラムを変更しての一夜は予想以上に素敵なひと時で、ピアニストの実直で誠実な側面を表す画期的な体験となった。

日中、蒸しかえるような湿度と闘いながらPC前に陣取り、作業。そうこうするうちに渋谷警察署から拾得物受理通知書が届く。何と先日落とした免許証とパスモが見つかったよう。1週間経過しているのでどうかと思っていたが、信じる者は救われる(笑)、拾っていただいた方の善意に感謝しつつ仕事を進める。ありがとうございます。

ところで、今夜のピーター・ゼルキン。65歳とは思えぬ颯爽、紳士然とした雰囲気が実に素晴らしい。舞台に現れるところから父ルドルフの面影をどこかに残しながらも、演奏そのものは全くの別物。これほどまでに静寂を大切にし、それでいて芯のしっかりしたピアノは聴いたことがない(といえば大袈裟か)。それに、特筆すべきは聴衆の質。おそらく6割ほどしか埋まっていないように見えたが、各楽曲が終わるや否やのフライング拍手は一切なく、ピアニストの手が止まって10数秒が経過してもなお息を飲むような静けさを保ち、ピーターが立ち上がるや徐に拍手がパラパラと起こるさまは特別な儀式のよう。

ピーター・ゼルキン ピアノ・リサイタル
2011年8月31日(水)19:00開演
東京オペラシティ コンサートホール
・武満徹:フォー・アウェイ
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110
・ベートーヴェン:ディアベリの主題による33の変奏曲作品120
アンコール~
・J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988~アリア

プログラムの最初はシェーンベルクからピーター・ゼルキンが尊敬する現代作曲家、武満徹の作品に急遽変更された模様。「フォー・アウェイ」という作品は初めて耳にしたが、さすがに現代音楽の旗手だけあるピーターの手にかかっては、もう本当に美しく、あまりに切ないピアニシモが奏でられるところからもう金縛りにあったような状態。
そして、楽しみにしていたベートーヴェンの作品110。父親のような解釈なのかと想像していたが、さにあらず。終始弱音を基本にテンポを揺らしゆったりと、聴いたことのないようなメロディが時折浮かび上がり、ポゴレリッチとはまた違った方法論で音楽を解体、再構築してゆく。圧巻はやっぱり最後のフーガ!!これほどまでに哲学的で、深みのある演奏はそうは聴けまい。
20分の休憩を挟み、メインとなる「ディアベリ変奏曲」。これは間違いなくピーター・ゼルキンの十八番であり、実演に初めて触れた僕が、普段なら途中で眠りこけてしまいそうな個所でも思いっきり緊張感を持って最後まで聴き通せたことが素晴らしいと思えるような見事な演奏だった。特に「ドン・ジョヴァンニ」の例の旋律が引用される第22変奏以下が言葉で言い表せないほど深く、祈りさながらに傅いて聴かねばならぬと思わせられたほど印象深かった。

演奏終了後の聴衆の熱狂は表現不能。そして、何とアンコールは「ゴルトベルク変奏曲」のアリア!!独特の節回しと洒落た装飾に彩られたこのアリアも祈りに満ち満ちていた。
感謝・・・。


2 COMMENTS

畑山千恵子

これは素晴らしい!まさにその一言です。お目にかかれず、残念でした。いろいろ、人と会ったりして、お話をしていましたので申し訳ありません。
ピーター・ゼルキンの自分探しは、現代音楽から始まりました。アジア、アフリカなどを回ってきたことからしても、偉大なピアニストだった父、ルドルフ・ゼルキンを越える存在になるにはどうすればよいか、を考えていたようです。武満徹との出会いはその延長線上ではないでしょうか。
そして、20世紀音楽、古典、ロマン主義の名曲を中心としたレパートリーによる自らの道を築いていったのではないでしょうか。私は、偉大な父親を乗り越え、真に自分の道を開いていったピーターの今を聴くと、昨日のリサイタルは素晴らしいものだったといえましょう。

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岡本 浩和

>畑山千恵子様
昨日は素晴らしいリサイタルでしたね。
お客の入りが悪かったのが少々残念です。

>父、ルドルフ・ゼルキンを越える存在になるにはどうすればよいか、を考えていたようです。

そういうことなんでしょうね。昨日を聴く限りにおいては越えた越えないではなく、もはや父親とは比較できない独自の境地に至っていると思いました。

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