クリフォード・カーゾン没後30年

昨晩のマキシム・ヴェンゲーロフの興奮が冷めやらない。
この一世一代の復活公演を目にすべしとお誘いした友人たちから賛辞の言葉、そしてあの一期一会の場所に立ち会えたことの喜びの言をいただいた。
人間が奏でているとは思えないあまりに中庸のバッハ、そして2人の奏者がひとつになる優しきシューベルトと闘争のベートーヴェン。しかしそこには「和」が存在した、一世一代のパフォーマンスをこの目に直接焼き付けることのできた感激。
それでいてマキシムは決して「神様」ではなく人間以上の人間だった。「人として」これ以上の人はいるのか、真に包容力に富む「すべて」だった。

ほんの少し中和剤を投入しようと試みた。あえてそんなことはせずしばらく陶酔に浸れば良いのだけれど、過去にしがみつくのも僕の信条ではなし。
久しぶりにクリフォード・カーゾンがクナッパーツブッシュ&ウィーン・フィルといれた録音を聴いた。没後30年という節目。第4協奏曲と第5協奏曲「皇帝」。優しさと厳しさと・・・、人が自立してゆく過程で必要な要素がこの内側に垣間見える。神がかった楽聖が、地に足を着け、真に人間っぽい作品を生み出した。そこには悲哀もあり愉悦もあり。
第2楽章から第3楽章という流れを繰り返し耳にする。ここではあえて第1楽章をすっ飛ばす。

ベートーヴェン:
・ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58(1954.4録音)
・ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」(1957.6録音)
クリフォード・カーゾン(ピアノ)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

「皇帝」の方はかのジョン・カルショウとエリック・スミスのプロデュース。デッカらしい生々しい音が炸裂する。とはいえ、ここでのクナッパーツブッシュの大人しさよ。真面目にピアニストに合わせて演奏する様子を感じ取り、この天才指揮者はやっぱり基本ができていて、遊びに興じる時こそ恐ろしいまでの超名演奏を繰り広げるのだということを再確認した。

ここで昨日のパフォーマンスを思い出す。もちろん主役はヴェンゲーロフ。しかし、瞬間瞬間の鍵を握るのはイタマール・ゴラン。それほどまでに効果的で不可欠の伴奏。とにかく自然体でありながら締めるところは締めるという在り様。おそらくこの人はソロ・ピアニストとしても超一流だと思われるが、あえて伴奏専門にしているところが憎い。つまり、協演する人の力量をより発揮させるモティベーターだということだ。相手の気を引き出しつつひとつになる。まるで合気道のよう。

クナッパーツブッシュの「地味」な演奏を聴いてそんなことを考えた次第。
ちなみに、第4番の方はどういうわけかもうひとつ心に届かない。


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む