雪夜のドヴォコン

dvorak_concerto_maisky_bernstein.jpg雪の聖バレンタイン・デー。
気がつけば東京も大粒の雪が舞い、だいぶ積る。このまま降り続いたら明朝はどうなっているのだろう?

いつもお世話になっている新高円寺のとんかつ富士にて小泉応援団長を交え懇親会。皆大いに飲み、大いに笑い、大変に盛り上がる。同席のN先生が、世の中の三大音楽は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、ドヴォルザークのチェロ協奏曲、そして愛知とし子の弾くピアノだとおっしゃる。たとえそれがお世辞だとしても、そこまで言っていただけるファンが存在することは素晴らしい。とはいえ、メンコンにドヴォコンですか・・・!!どういう基準で選ばれているのか皆目見当がつかないが、いずれにせよ西洋クラシック音楽を代表する大作曲家の作品と同列に評価していただけているわけだから素直に喜んだ方がよかろう(笑)。先生曰く、ドヴォコンは断然シュタルケルだと。しかし、残念ながら僕はシュタルケルのドヴォコンに接したことがない。こうなったらまた音盤を探し出して何とか耳にしたいものだと俄然闘争心が湧きあがる(笑)。


外は相変わらずの大雪。そんなつもりじゃなかったが・・・、ドヴォルザークを聴く。

・ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調作品104
・ブロッホ:ヘブライ狂詩曲「シェロモ」
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

ドヴォルザークの音楽はいつも懐かしい。ひとつの無駄もない構成で、愛らしいメロディに溢れ、疲れたときに無心に身を委ねるのに適している。晩年のバーンスタインらしく悠揚たるテンポで進められるその音楽は、マイスキーのそっと語りかけるチェロの音色と相まって聴く者の心にストレートに届く。

ドヴォルザークについては、ことあるごとにもう少し詳細に研究してみようと考えさせられるのだが、気がつくとついつい別に意識が向いてしまう。魅力的な音楽家だと思うのだが、そして聴いている最中は心の琴線に触れるのだが、すぐに忘れてしまう、そんな感じ・・・。おそらく、その時代性、地域性と極めて結びついた作曲家なのだろう。ゆえに、同時代のことを知悉するか、あるいは同じ地域に生まれ育ち、文化も習慣も空気のように分かち合える「仲間」でないと「感動」を真の意味で共有することは難しいのかも・・・。わかったつもりにならないようにしなければ。表面的な旋律に流されるべからず。その点では真に奥深い芸術家であるゆえ。

マイスキー&バーンスタインによるこの協奏曲は、今風でなく、晩年のバーンスタイン主導による前世紀風ロマンティシズムの極み。マイスキーの独奏がやけに20世紀しているのが面白い(決してアンバランスでなく、調和しているところが妙)。

2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
確かに、メンコンにドヴォコン、愛知とし子さんの演奏、世の中の三大音楽ですが、この中では愛知とし子さんの演奏が断然トップではないでしょうか。
ドヴォコンですが、私もシュタルケルの演奏が、じつは一番好きです。L.スラットキン指揮他との90年録音など、絶品だと思います。
マイスキーについては、私は昔から、岡本さんほど評価していません。何か、「業界によって作られたスター」という気がしてならないんですよね。ライヴでも、技巧的にも今一という部分が目立ちますし、アルゲリッチやクレーメルに比べると見劣りしてしまいます。マイスキーより高く評価したいチェリストは沢山います。
この曲の後半楽章には、1895年5月5日に亡くなったドヴォルザークの初恋の女性(夫人の姉であるヨセフィーナ・カウニッツ伯爵夫人)への切々とした思いが隠されていて、第2楽章中間部でト短調に転じてからのチェロの歌(この主題はドヴォルザーク自身の歌曲「一人にして」op.82-1 (B.157-1)によるもの)や、終楽章後半でチェロの主題を引き継ぐ形で出るヴァイオリン・ソロ(コンサート・マスターが弾く)はこの女性との思い出に関係があるらしいですね。特に後者では、4小節しかなかったコーダの部分を、第1楽章の回想と再び歌曲の旋律が現れる60小節に拡大しているのも、彼女の訃報に接したからだそうですね。
研究家達によると、習作のチェロ協奏曲を書いていた時期と、彼女への想いを募らせていた時期がほぼ一致しているし、ヴィハーンの修正などの提案にドヴォルザークが気分を害した(ヴィハーンに「1つも音を変えてはならない」と念押しする書簡まで書いている)のも、彼にしか分からない気持ちがこめられていたからのようです。
ところで、昨日、文藝春秋3月号で、今回の芥川賞受賞作二作、朝吹真理子さんの「きことわ」と、西村賢太さんの「苦役列車」の、全文を読んだことを書きましたが、岡本さんに読んでいただきたいのは、「きことわ」の方。時間、音楽、等について、いろいろと共感させられ、非常に味わい深い小説です。将棋の宇宙を愛し、「千日手」に「永遠」や「永劫」を発見するという、26歳の朝吹さんの感性、将棋が趣味の私には、眩しい煌めきを感じ、素晴らしいです。
・・・・・・「マニュエル・ゴッチングの「E2-E4」」
 アルバムタイトルを聴くなり、永遠子は「知ってる」と声をあげる。ぎっしりレコードをつめたダンボール箱から、チェスボードのえがかれた一枚のジャケットを取り出して貴子にみせた。
「和雄さん、チェスの曲でしょう?」
「とわちゃん、どうして知ってるの?」
「この曲を聴いた記憶があるの。ちゃんとおぼえてる」
 貴子は思い出せないといって「どういう曲か歌ってみて」と永遠子にせがむと、和雄が「歌えるような曲じゃないよなあ」と笑う。
 車のなかで和雄がテープに落として春子ときいていた記憶があると永遠子は言った。春子は、アルバムタイトルの初手「E4」に対して、「C5」と手を指し、そのまま数手つづけたが途中で春子が音をあげて終わったことをはなした。和雄にも貴子にも、永遠子が記憶している車内の記憶がまるでなかった。
「春ちゃんは、シシリアン・ディフェンスしか知らなかったからなあ」
(中略)
 和雄はダンボールのうえに置かれた「E2-E4」に触れて、このオリジナル盤は千枚しか生産されていないとそっとダンボールに納め、永遠子にチェスは指せるのかとたずねた。・・・・・・(以下略) 文藝春秋3月号 朝吹真理子「きことわ」436~437ページより
http://d.hatena.ne.jp/hinonaname/20100925/1285433742
さっそく気になって昨日買って聴きました。「マニュエル・ゴッチングの「E2-E4」」。いやー、よかったです!!
http://www.amazon.co.jp/E2-E4-%E7%B4%99%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E4%BB%95%E6%A7%98-%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0/dp/B000GPII58/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=music&qid=1297723829&sr=1-2-spell

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
やっぱりシュタルケルですか!
ちょっとこれは聴いてみなきゃですね。
しかしながら、マイスキーに関しては決して完璧でないところがまた人間っぽくて僕は好きなんですよね。これまで何度もリサイタルに触れて、ハイドシェックに通じるところが僕には感じられます。ただし、おっしゃるようにマスコミに作り上げられているといえばそうかもしれません。
あと、ドヴォコン作曲の背景についてはあまりよく知らなかったので勉強になりました。ありがとうございます。
ところで、ご紹介の朝吹真理子さんの「きことわ」、興味深いですね。マニュエル・ゴッチングの「E2-E4」も未聴ですので、あわせて読み、聴いてみたいです。
ありがとうございます。

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