
喧噪のパリ。
19世紀の欧州は、絢爛豪華でありながら混沌とした時代だった。
オペラ・ブブは退廃の象徴だったのかもしれない。
現実を揶揄するジャック・オッフェンバックの天才。
「オペレッタ」というこの極上の娯楽が大都市パリで果たした役割を、ベンヤミンは次のように見ている。
1867年の万国博覧会において資本主義的文化の幻像はもっとも輝かしい光景を見せる。帝国はその権勢の頂点にあった。パリは贅沢とモードのおしもおされもせぬ首都であった。オッフェンバックがパリの生活にリズムを定めてくれる。オペレッタこそは資本の恒常的支配に対するアイロニカルなユートピアである。
いまやオッフェンバックはフランス国籍を獲得し、大家族を擁していた。多作でつねに忙しくしていたオッフェンバックの鼻眼鏡をかけた独特の風貌は、早くからカリカチュアの恰好の対象にもなっていた。その輝きにやや陰りが見えてきたのは、プロイセンとの戦争にフランスが敗北し、1870年に第三共和政が始まったころである。
~長野順子「オペラのイコノロジー6 ホフマン物語~ホフマンの幻想小説からオッフェンバックの幻想オペラへ」(ありな書房)P54
オペラ・ブフ(オペレッタ)とは、19世紀のポップスであり、ほとんど流行歌と同じといっても良いものだ。それゆえ世相の影響をもろに受ける。半ば冗談のつもりで、いかに花の都パリが俗っぽいものだったか、オッフェンバックが紡ぎ出す美しい旋律と共に描かれる。
2時間ほどのオペラ・ブフは、当時のパリジャンたちだけでなく、今も僕たちの心を癒してくれる。物語の俗っぽさがまた人間の神聖なる精神を逆に感化する効果があるのではないかとすら僕は思う。終幕最後のフレンチ・カンカンはオッフェンバックの真骨頂。
プラッソンの指揮は序曲からとにかく自由自在で圧巻。
個人的に、オペラを音だけで楽しむことが好きだ。
今どき、映像なしで、といわれるのがオチだが、それでも音楽そのものを堪能したいという思いがある。その分舞台そのものの光景は、想像を膨らませて。
何かが欠けているからこその感動というものが芸術にはある。
すべてが完璧である必要はない。
その意味で、(例えば)トルソー作品のもつパワーは、人類に大いなる想像力を授けてくれたように思う。
