
時代が変われば常識は変わる。
場所が違えば常識も異なる。
常識とは、あくまで人間が拵えたもので、絶対的真理とは別物なのだ。
巨匠が60歳になったときにはじめて、1885年3月10日、ヘルマン・レーヴィ指揮によるミュンヘンでの第7交響曲の上演により、視野が開け始めた。まさに、多少の差はあれ、かなりの改編を伴ったいくつかの交響曲が、どうにか聴かれ始めたのである。ブルックナーは彼の音楽が、自分が望んだのとは異なった形で鳴り響くのを、甘んじて受け入れねばならなかった。そのことを、レーヴェやシャルク兄弟の罪としてはならない。そうした処置は、当時の指揮者の習慣だった。彼らはそのことにより多大な犠牲を払って、彼らが熱愛した巨匠のために、ひたすら19世紀末の音楽界への扉をこじ開けようと闘ったのである。「ブルックナーは、自らの意志に逆らって、彼の十字架を引き受けたに違いない」、と言うこともできるかもしれない。こうした諦めの中には、それが自発的であったにせよ、そうでなかったにせよ、ブルックナーに染みついた彼の生き方の「特異性」であり、国民学校教師の諦めの気持ちと印象的なまでに等しい、ある種の偉大さがある。
~レオポルト・ノヴァーク著/樋口隆一訳「ブルックナー研究」(音楽之友社)P11-12
弟子たちの、いわば慈しみの表われが「改訂版」といわれる版を生み出したということだ。
ならば、後世はそれを喜んで受け容れねばならないはず。是々非々を語るのは、あくまで人間の我儘であり、そこに存在する限りそれは「事実」であり、「本物」だといえまいか。
おかげで、ブルックナーはブルックナーとして世界に認知されたのだということを喜ぼう。
したがって、これらの人たちが、ブルックナーの作品を彼らの時代にとって「聴かれるにふさわしい」ものにすることによって「改竄した」と主張することほどばかげたことはない。彼らは当時、若かったが、まさにブルックナーに対する燃えるような熱狂からしたことだから、「改竄」のようなことは彼らにはもっとも縁遠いものであったということは、証明の必要もないほどである。彼らが希求したのは、彼らの崇拝の対象であったブルックナーに、当時の世間に知られるようになるための道を拓くことだった。彼らはその道に到達し、その道をさらに数十年にわたり護り続け、そのことによって「ブルックナーの使徒」となったのである。彼らは、わたしたちの多くが個人的に知己を得ることができた人たちであり、そのことに対して彼らに感謝すべきなのである。
~同上書P156-157
この後ノヴァークは、時代が変り、人も変わったゆえ、私たちが望むものはあくまでオリジナルだと書くが、この論文さえ1949年のものであることを考えると、人々が求めるものはさらに変わっているのだということをまた知らねばならない。
今や改訂版を楽しみにする聴衆もたくさんあると聞く。
実際、僕自身も、改訂版の圧倒的な重戦車の如くの響きに幾度も感動させられた。
(生涯にわたって、改訂版を使用し続けたクナッパーツブッシュの本意は、何十年もあとの現代の様相を予知していたのではなかろうかと思えるほどだ)
・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(フェルディナント・レーヴェ1890年改訂版)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1955.4録音)
異形のブルックナーとはいえ、ブルックナーに対する愛情のほどは確かなものだ。
クナッパーツブッシュの本懐は、ブルックナーの心を表現することに尽きる。
だからこそ第1楽章から淡々とした響きを醸しながら、随所に巨匠らしいうねりが爆発する。ブルックナーらしからぬクレッシェンドとディミヌエンドの応酬は、聴く者の魂を鷲づかみにする。
カットの激しい(オーケストレーションもオリジナルとは大きく異なる)終楽章も怒涛の、そして渾身の演奏であり、聴いていて鳥肌が立つほど。ここには「愛」がある。
1955年のハンス・クナッパーツブッシュ。
3月20日、バイエルン国立管弦楽団とのコンサート。
クナッパーツブッシュ指揮バイエルン国立管のランナー、シュトラウスほか(1955.3.20Live)を聴いて思ふ 3月29日から4月1日、ブルックナー(本録音)及びワーグナー「ジークフリート牧歌」のDeccaへの録音。
クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルのブルックナー交響曲第4番(1955録音)を聴いて思ふ
クナの「パルジファル」と「ジークフリート牧歌」 7月22日、バイロイト音楽祭での歌劇「さまよえるオランダ人」。
7月26日、ザルツブルク音楽祭でのオール・ブラームス・プロ。
8月16日、バイロイト音楽祭での舞台神聖祭典劇「パルジファル」。
9月1日、バイエルン州立歌劇場での楽劇「神々の黄昏」。
クナッパーツブッシュ&バイエルン州立歌劇場の「神々の黄昏」を聴いて思ふ 11月16日、ウィーン国立歌劇場再建記念公演での楽劇「ばらの騎士」。
クナッパーツブッシュ指揮ウィーン国立歌劇場の「ばらの騎士」(1955.11.16Live)を聴いて思ふ (おそらく)巨匠が最も脂の乗っていた最高の時期の演奏はいずれも絶品。
