酒は飲んでも・・・

beethoven_4_walter_columbia.jpg酒は飲んでも、酒に飲まれちゃいけない・・・。
僕も決して酒に強い方ではない。特に、体調が思わしくない時は、たとえそれが1、2杯のグラスワインだとしても酩酊状態になってしまい、つい居眠り状態になってしまうこともある。サラリーマン駆け出しの時代、(その時は随分飲まされたのだが)前後不覚になり、酒宴の席で半覚醒状態に陥り、コップの水をかけられ怒鳴られたこともあったくらい(笑)。若気の至りということなら許されるにしても今となっちゃそうもいかない。
友人に言わせればそれも「気」の問題らしい。「酔わない」と決めたら「酔わない」のだと。確かにそうかも。「気合い」で飲むのか(苦笑)?!いや、何より無理をしないことだ。人のふり見て我がふり直せ。

日本は「飲みニケーション」という言葉があるくらいだから、ビジネスにおいて酒宴はかかせない。お酒は万病の薬という言い方もあるくらいだから、手段としていかにうまく使うかを考えれば、逆にスムーズに事を運ぶための潤滑油にもなる。要は、何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」で、適度が良い・・・。

そういえばベートーヴェンの交響曲第7番の終楽章はローマ神話の酒神であるバッカスに準えて「バッカスの饗宴」といわれるほど、人を興奮状態にする力をもつ音楽だが、忘れられないのが、初めて聴いて度肝を抜かれたフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル盤。それと、1980年のカール・ベーム最後の来日となった人見記念講堂でのLive(80年の実況放送ではさほど感心しなかったものの、後年Altusから発売され、最晩年の老巨匠が身体に鞭打って演奏した極限のユックリズムで支配されたその音楽をあらためて聴いて感激した)実況中継。実演では、1989年の朝比奈隆指揮新日本フィルの凄演。とにかく心が舞い上がってしまい、身体中が痺れるほど感動したまま思わず同行の皆と祝宴をあげたことを昨日のように思い出す。なるほど、「バッカスの饗宴」といわれる所以がよくわかる。酒を飲まずとも音楽によって人は開放できるのだ。

ところで、前にも書いたが、カルロス・クライバーが86年に来日した際、同じく人見記念講堂で聴いたコンサートも忘れられない。ベートーヴェンの第4番&第7番という定番プログラム。ベートーヴェンの第4交響曲は地味な存在だが、かつて毎日のように聴き込んではまっていた時期がある。

ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調作品60
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団

誰が何と言おうと僕にとっての第4はこのワルター盤(評論家の中でもさほどの評価を得ていないのは七不思議)!ワルターのベートーヴェンはいわば内剛外柔。これほど芯のある、地に足の着いた演奏はなかなか見当たらない。テンポ感といい、楽器のバランスといい、ロベルト・シューマンが「二人の北欧の巨人に挟まれたギリシャの乙女」と喩えた、まさにその表現にぴったりの音楽作り。

自分は一体何者なのか?どこから来てどこへ行くのか?
全ての答えは自らの中にある。静かに心の声に耳を傾ければ答えは自ずと出る。


5 COMMENTS

雅之

こんばんは。
ベト4のワルター盤、おっしゃるとおりですね。私も素晴らしい演奏で名盤だと思っています。
あえてムラヴィンスキーの来日盤とか、有名な無数の対抗馬をここで持ち出そうとも思いません。
ワルターと比較したくはありませんが、昨年手に入れたベト4のCDでは、ケルテス&バンベルク響の貴重な録音の1枚が印象に残っています。目下大好きな演奏で、何回も聴いています。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2610318
よくいわれるように、ケルテスとカンテルリが事故に合わなければ、その後の世界の指揮者界は、ずいぶん違ったものになっていたでしょうね。
先日の話の続きですが、ベト4の終楽章もファゴットの見せ場がありますね。アマ・オケで演奏に参加した時、友人のファゴット奏者が指揮者の速いテンポに苦労していました。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
他にも名盤は多数ありますが・・・、それでもワルター盤ということで。
>ケルテス&バンベルク響の貴重な録音
このオイロディスクからの音盤は未聴です。雅之さんがお好きだということは「買い」ですね。
>ベト4の終楽章もファゴットの見せ場がありますね。
今度注意して聴いてみます。僕はどちらかというと、フルート・ソロの部分が好きでして・・・。

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雅之

おはようございます。
ファゴットのベト4終楽章での難所は、余りに有名な箇所で、ファゴット奏者はこの一瞬に命を懸けて演奏しています。ベト4の演奏の成否はこの部分に懸かっているといっても過言ではありません。ぜひ注意して聴いてあげてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)
故 柴田南雄は『演奏スタイル昔と今 私のレコード談話室』(1979年 朝日新聞社)の70年代後半のカラヤン&ベルリンフィルの「ベートーヴェン交響曲全集」を強く批判した文章の中で、次のように述べています。
・・・・・・あの当時(1966年頃)カラヤンは、メンバーの名人芸の上に展開される即興演奏が面白くてたまらぬ、といった風情であった。リハーサルよりテンポの速かった『第四』のフィナーレ(あのファゴットの名技性)や『第七』のフィナーレ(弦の合奏力)・・・(中略)第二回目の全集にはその当時の一回性に賭けるカラヤン像が生々しく反映している。
(中略)
そういえばこの曲(『第四』)のカラヤン盤のフィナーレも、彼が66年に来日した時(オケはベルリンフィル)のベートーヴェン・ツィクルスでの演奏よりもずっと遅い。すでに触れたように、あの当時カラヤンはメンバーの名人技に寄りかかった、綱渡りのようなスリルに満ちた演奏に熱中していて『第四』のフィナーレはとくに猛スピードを楽しんでいた。もちろんファゴットはスタッカートの技巧の極限を要求された。今度のレコードは当時の二割くらい減速の安全運転で極めて安定した音楽がスイスイと流れる。・・・・・・
ベートーヴェンの交響曲は、テンポ設定如何で曲に対するコンセプトが全く変わってしまいます。もちろん、おおよそスコアの速度記号を重視すればするほど、奏者の名人芸が要求されるようになります。

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岡本 浩和

>雅之様
ありがとうございます。確認しました。確かに難しそうですね。
僕は楽器ができないせいか、オーケストラを聴いても楽器の難易度などに意識が向かないので、雅之さんから演奏者の観点を教えていただけることにいつも感謝しています。聴き方の幅が拡がりますものね。生憎カラヤンのベートーヴェンは聴いたことないので、柴田南雄氏の評論については体感的にわからないです。ただ、少なくとも60年代のベルリン・フィルは名人が多かったということですね。実演で聴いてみたかったです。

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