「春の祭典」100周年~バーンスタイン最初の録音

フランスの魅力って何?
人々の革新性か?
市民が王政を倒し、自由主義の道が開けたのは彼の地から。
ナポレオンの登場と失脚。一時はヨーロッパ大陸を牛耳りながらも・・・(いや、今もそうか?)。

音楽の世界でも、20世紀の扉が開かれるや斬新な響きをもつ作品群が産み落とされ、パリは文化的中心地として多くの芸術家たちのメッカとなる。そこにあったものは・・・、
ドビュッシーの「新しさ」、ラヴェルの「冒険」、などなど。
そして、バレエ・リュスの、セルゲイ・ディアギレフの先見の明。

戦争に明け暮れ、現代金融世界の中心のひとつであるフランス国。
フランス人とはイギリス人以上に鼻持ちならない国民だというイメージがあるが、それゆえの深みと面白さが共存する。

本日、世間は「春の祭典」で盛り上がっているようだ・・・。(本当か?!)
僕も今宵は「ハルサイ」でお祝い。
パリのシャンゼリゼ劇場での例のスキャンダル。ストラヴィンスキーのバレエ「春の祭典」がバレエ・リュスによって初演されちょうど100年という記念の日。前世紀初頭の「お化け音楽」は今や古典的名曲のひとつとして認知される。
もちろん初演指揮者であるピエール・モントゥーの残した録音をアナログ盤で聴くつもりだったが・・・、大変な音盤に出くわした。過日、「スケルツォ倶楽部」という名のブログで紹介されたレナード・バーンスタインの旧録音。バーンスタインが残した最初のもの。ほとんど存在すら知らなかったのだけれど、先のレビューを読んでどうしても聴きたくなり、仕入れた。そして・・・、今日という日のために封も切らずにそのままとっておいた。

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」
レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団(1958.1.20録音)

バーンスタインのそれは鋭利な刃物のよう。
晩年の粘着質の表現とは正反対で、感情を排し、あくまで音楽そのものだけを追求する。よって表面的には極めて冷たい印象を与える。とはいえ、決め所のティンパニの轟音、そして金管の咆哮、腰を振りながら若きバーンスタインが棒を振る姿が目に見えるよう。おそらく好き嫌いのはっきりする「名演奏」だと僕は思う。

心静かに「祭典」の仕事を続けていたとき、私の平穏は、バイロイトで落ち合って、あの神聖な場所で私がいまだ上演を観たことのなかった「パルジファル」を聞こうというディアギレフからの誘いによって打ち破られた。・・・(中略)・・・私が見物した公演は、たとえ無料で宿を提供されたとしても、今では私の心をそそらないだろう。まず劇場の雰囲気全体、そのたたずまいや環境が私には陰鬱に思われた。・・・(中略)・・・ここで私は「パルジファル」の音楽にも、ヴァーグナーの音楽全般にも触れるつもりはない。今日、それは私からあまりにもかけ離れたことだ。その企てすべてにおいて私を憤慨させるのは、それを命じた幼稚な精神、芸術的な演し物を宗教的な儀式が構成する神聖で象徴的な行為と同じ次元に位置づける原理自体である。そして実際、このバイロイトの喜劇すべては、その滑稽な慣習も含め、ただ単に神聖な儀式の無自覚な猿真似ではないだろうか?
「私の人生の年代記―ストラヴィンスキー自伝」(笠羽映子訳)

ひどい痛烈な言いようである。確かに「祭典」は、ある意味ワーグナー以上に過激だ。しかし、ワーグナーあってのストラヴィンスキーではないのか?歴史が「つながり」の中に在ることを忘れてはなるまい。僕はワーグナーを擁護する。もちろんストラヴィンスキーは好き。

 


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5 COMMENTS

“スケルツォ倶楽部”発起人

有言実行の岡本先生、その格調高い文章に ホント 脱帽です!
更新頻度の高さ、そして 尽きぬ投稿スタミナ、もう 絶倫の域でしょう(感服 ・・・ )。
文中で わたしたちの “スケルツォ倶楽部” にも 余裕で触れてくださったりして、誠にありがとうございます! 
ストラヴィンスキーが なんと 「春の祭典 」作曲中 ワーグナーへ辛辣な意見をのべていた文章、寡聞にして 初めて知りショックを受けています。
しかも 「心静かに 『祭典 』の仕事を続けていた 」 ・・・という一文をとってみるだけで、後世の未来人であるわたしたちの理解とはまったく別次元の精神状態だったことが察せられます。 はたしてストラヴィンスキーは この世紀の名曲を作曲しながら、一体どんな想いで ペンを走らせていたのでしょうね。

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岡本 浩和

>“スケルツォ倶楽部”発起人様
「格調高い」などといわれると、とても照れくさいですが、こちらこそ素晴らしい録音の存在を教えていただきありがとうございました。いやもう驚きです。初めて聴いた時の、生々しい感覚が蘇りました。

「ハルサイ」作曲中にそんなことがあったというのは興味深いですよね。

>この世紀の名曲を作曲しながら、一体どんな想いで ペンを走らせていたのでしょうね。

「心静かに」ですから何も考えていなかったのでは?
そこにワーグナーですから、随分惑わされたのかもしれません。(笑)

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つるびねった

こんにちは。はじめまして。
バーンスタインの春の祭典、残念ながらわたしはまだ聴いたことがないのですが、ニューヨーク・フィルのデジタル・アーカイヴスで、彼がこの曲を振ったときに使った、彼の書き込み入りのスコアを見られますよ。とても興味深いので、良かったらぜひご覧下さい。

返信する
岡本 浩和

>つるびねった様
こんにちは。
貴重な情報をありがとうございます。
居間少しだけ見てみましたが、おっしゃるとおり興味深いです。
じっくり見させていただきます。

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アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » モントゥーの「火の鳥」&「ペトルーシュカ」(GT9050)

[…] 「私の人生の年代記~ストラヴィンスキー自伝」が面白い。 例えば、セルゲイ・ディアギレフとの出逢いと思い出、バレエ・リュス、そしてニジンスキーのこと。ちょうどその頃の彼の脳裏に去来した様々な想いが回想、告白されており、いわゆる三大バレエを聴くことに一層の興味を見出す。前にも書いたように、「春の祭典」を作曲の頃、ディアギレフにバイロイトで「パルジファル」を聴きに行くよう誘われたものの、かの作品がまったく論外の邪道的作品だと明言していることは驚きだったが、それ以上に彼が「音楽の何たるや」がはっきりわかっていたことを知り、膝を打った。以下、同書より抜粋。 […]

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