ビーチャム卿のディーリアス

梅雨入り・・・。鬱陶しい季節の到来。
確かにじっとりとした湿気が身体を覆うけれど、意外に暑くはない。ずっと曇っていたせいか、どちらかというと涼しい風が吹き抜けるくらい。自然が生きていて、大地も水も空気も活きていることを感じる。毎年、同じ時期に同じように「彼ら」は「態」を変え、整える。人間も、それに追随するように体温を調節し、思考や感覚を整理する。
トマス・ビーチャム卿の棒によるディーリアスの音楽を聴いて、ここには英国独特の薄曇りの空や森や、水や空気が投影されているのだと想った。極東の此の地の風情とはまったく異なる気候であるにもかかわらず、そして何度か彼の島を大きなキャリーバッグを携えて旅しただけなのにこの音楽を聴くだけで、自然への憧憬と懐かしさが込み上げる。

かつて僕たちはイギリス人だったのだろうか・・・?
それとも「島国」独特の似たような「気」というものが彼の地にも此の地にもあるのだろうか?

ひとつの楽章に凝縮されたヴァイオリン協奏曲が泣ける。
何と甘く、しかも哀しい旋律の宝庫よ。
ストラヴィンスキーが三大バレエをすでに書き上げ、ドビュッシーが最晩年の室内楽曲を創造しながら孤高の境地に至りつつあったあの頃、ディーリアスは何とロマンティックな音楽を生み出していたことか。

ディーリアス:
・ダンス・ラプソディ第1番(1952.10.19録音)
デヴィッド・マッカラム(ヴァイオリン)
・ヴァイオリン協奏曲(1946.10.31&11.1録音)
ジャン・プーニェ(ヴァイオリン)
・高い丘の歌(1946.11.22録音)
フリーダ・ハート(ソプラノ)
レスリー・ジョーンズ(テノール)
ルートン合唱協会
・イプセンによる交響詩「頂にて」(1946.11.26録音)
サー・トマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

古い録音ながら「高い丘の歌」(1911年作曲)の混声合唱によるヴォカリーズの美しさに金縛り。しかも、何とも言えない不安定さが不気味な印象を与えつつも管弦楽がそれを支えるように鳴り響く後半の、音と声の協演の素晴らしさ。
そして交響詩「頂にて」における大自然の見事な音化!犬猿の仲であったリヒャルト・シュトラウス(彼はディーリアスのことを認めなかった)は「アルペン・シンフォニー」を創作している時、実はディーリアスのこの音楽が脳裏を過らなかったのか・・・?
名作「人生の歌」がニーチェの「ツァラトゥストラ」を題材に書かれているのだから、評価していなかったとはいえ、シュトラウスが意識していなかったはずがないのだが・・・。

いずれにせよフレデリック・ディーリアス作品の世界的普及という意味においてビーチャム卿の力は大きい。少なくとも指揮者の音楽に対する「愛情」が半端なく刷り込まれている。

 

 


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