
環境がその人の感性を育てるのではないということがよくわかる。
大事なことは本人の興味であり、感知できるセンスを持っているかどうかなのだと思う。
すべては意志から。
音楽を書きだしたのも、ル・アーヴルでです。まだなんにも教わらないうちから、わたしは作曲をしたいという欲望を暗々のうちにもっていました。子どものころ、わたしは自分の未来の作品の決算を空想して書きつけたものです、《アルチュール・オネゲルが彼の有名な序曲を書いたのは、1903年のことである・・・》なんてね。わたしが思うに、固定観念というやつこそ、人の一生を形づくる磁力ですね。だがこの本能は、あんまり有利とはいえない環境のなかで、開花してきたのです。わたしの一家は、世間でいう音楽的な一家ではなかった。もっとも家で音楽をやってはいたけれど、それに、わたしの幼いころのル・アーヴルというところは、これ以上非音楽的な都市は想像もできないようなところでした。劇場でのオペラの上演が何回かあるほか、ときたま地方巡りの名人の演奏会が開かれる。わたしはこんなぐあいではじめてエネスコ、サラサーテ、イザイとプーニョ、コルトー・ティボー・カザルスのトリオ、すばらしいカペー弦楽四重奏団などが30人そこそこの人をまえに演奏するのをきいたのです・・・公立中学の同級生たちは、その両親たちと同様、商業のことしか考えないし、大部分のものたちは音楽というものが存在していることさえ知らないくらいでした。ある日、このうち一人が、わたしがモザール(モーツァルトのフランスよみ)という名を口にするのをきいて、手きびしく《おまえはマンサール(17世紀の建築家)というつもりだったんだろう》というのです—《いや、モザールだよ!》—《ちがうよ、マンサール、屋根裏部屋を発明したマンサールだよ!》こんなふうで、彼はマンサールのこともそのもっともみじめな動機でしか知らなかったのだし(リセにはマンサルドがいくつもありました)、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの輝かしい名にいたっては、全然きいたこともなかったのです!
~アルチュール・オネゲル著/吉田秀和訳「わたしは作曲家である」(音楽之友社)P117-118
少年の頃から聴いていたという錚々たる音楽家の名を見るにつけ、オネゲルの受動能力は完璧だった。そして、自らにとり込み、新たな音楽を創造するという能動能力についても抜群だった。





セルゲイ・クーセヴィツキーの委嘱により作曲された最初の交響曲。
分厚い、内へと向かう音楽の質は、どこかヨハネス・ブラームスを思わせる。
ただし、音楽はあくまでフランス風の、常にどこかに喧騒を伴うものだ(あくまで僕の個人的感覚からの感想)。
第1楽章アレグロ・マルカート、ごつごつした音塊が迫る音楽はいきなり僕たちの肺腑を抉る。泥臭い音調がデュトワの棒によって洗練され行く様子が興味深い。
第2楽章アダージョは、その後暗黒の世界に陥ることになる欧州の様子を予見するかのような音楽であり、ここではデュトワの祈りの棒が作曲家の心情を見事に顕すようだ。
そして、終楽章プレストの魑魅魍魎、生物が蠢くような強靭な生命力に僕は希望の光を見る。
オネゲルの創造の秘密。
わたしはまず輪郭、つまり作品全体の展望をさがす。たとえば、きわめて不透明な濃霧のなかで一種の宮殿の姿の素描されるのをみるとでもいいますか。それをなんども考えなおしているうちにだんだんこの濃霧が消え、少しずつその姿をはっきりみせてくる。ときには、日光がさして構築中の宮殿の一翼を照らしだすこともある。そんなときは、この断片がわたしのモデルになる。こうした現象が全体におよぶと、わたしは、構築する材料をさがしに出発する。わたしはスケッチブックの山を踏査する・・・
~同上書P104-105
数多の楽想をスケッチで残し、インスピレーションが来るたびに精査し、推敲する様子はベートーヴェンの方法を見るようだ。
アルチュール・オネゲル133回目の生誕日に。
御指摘の〝皇帝”、ミケランジェリとチェリビダッケの両大家のレコード、日本コロムビアがOP‐7080RCで発売したLP、聴き直してみました。
モノーラルながら、この大家ピアニストの瑞々しい音色と、タッチの鮮やかさに魅了されます。チェリビダッケも〝竸奏曲“には持ち込まず、奏者を巧みに立てる協奏曲の指揮ぶりで、妙な自己主張をせず齟齬をきたしていないのが、さすがです。
以前やはりルーマニア出身の指揮者で、交響曲・管弦楽作品では情熱を開陳して、個性的なぶりを示す、シルヴェストリと言うお方がいらっしゃったのですが、フェラスやコーガンとの協奏曲では、ソロを盛り立てた巧い指揮ぶりでいらっしゃったのを、ふと思い出しました。
この〝皇帝”は、やはり名演奏であるかと存じます。