
メンバーたちは、これまで参加したコンサートの中でも今回が最重要なものであることを感じていた。
コンサート中にも事件があった。2日目のコンサートの終盤、第4交響曲終楽章の演奏中に、悪戯好き(?)(ではなく、明らかに故意の妨害と思えるが)の連中が客席で爆竹を鳴らしたのである。おそらく(巷間いわれる)トスカニーニの気性の激しさを露呈させようという目論見があったのだろう。
しかしながら、トスカニーニは至って冷静だった。巨匠は、リハーサルでは激昂することで有名だったが、聴衆の前では常に自制できていたのである。
ちなみに、9月29日のプログラムの冒頭でトスカニーニは交響曲第1番だと勘違いし、棒を振り下ろした。しかし、鳴ったのは悲劇的序曲。驚いた巨匠は一瞬にして立ち直ったが、この出来事に動揺し、弟子のグイド・カンテッリに慰められることも拒否した。
(アラン・サンダース)
あまりに人間くさいエピソード。
戦後たった一度きりのトスカニーニの訪英楽旅は大成功だったらしい。
フィルハーモニア管弦楽団の技量を絶賛した巨匠も、あと10歳若かったらぜひとも録音を残したかったと語ったといわれる。
(当時のオーケストラ・メンバーには、第2ヴァイオリンにネヴィル・マリナーが座っており、またホルンの首席はデニス・ブレインだった)

スタジオでの正規の録音ではないにせよこのときの録音がウォルター・レッグによって残されていたことはレコード音楽史の奇蹟(言い過ぎか?)の一つであろう。
1952年10月1日の、ロンドンはロイヤル・フェスティヴァル・ホール。
ブラームス:
・交響曲第3番ヘ長調作品90
・交響曲第4番ホ短調作品98
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団(1952.10.1Live)
幾度聴いても新鮮さを失わない、生々しいライヴの記録。
ともするとデッドな録音の多い巨匠の音楽は時に感興を削ぐ場合もあるが、この訪英時の録音は万金の価値ある最晩年のトスカニーニの音楽を克明に刻んでいる。
相変わらずの灼熱の交響曲第3番ヘ長調!!
(おそらく編集のない、ありのままの記録がどれほど当日の観客の興奮と感動を伝えてくれることか)
そして、問題の交響曲第4番ホ短調!
終楽章のトラブルの最中、果たしてトスカニーニの胸中はどうだったのか?
あくまで想像の域を出ないが、音楽に集中するあまりまるで爆竹など聞こえてなかったかのように音楽は一層の推進力を持って進む。
(オーケストラ団員にもさほどの動揺はなかっただろう)
一発目は冒頭のシャコンヌ主題が披露され、第一変奏に入ってすぐ、ティンパニの打撃とほぼ同時に。また、二発目は音楽が少し静けさを確保しようとする第10変奏あたりで。さらに、三発目は第13変奏あたりで音楽の流れをぶち破るようにホールを劈く激しい音が響く。


こういうハプニングもすべてドキュメントであり、貴重だ。
今となってはすべてが音楽の一部と解されよう。
兎にも角にも最高のブラームスの再現がここにある。