
1816年2月23日、ベートーヴェンは、
「私のいとしい親愛なるドロテア・チェチーリア(音楽の女神)」
「いまお受け頂きたいのは、あなたに何度も与えようと考えてきたもの、あなたの芸術的才能やお人柄に寄せる私の心服の証しであるかもしれないもの、です」
~大崎滋生著「ベートーヴェン 完全詳細年譜」(春秋社)P329
と添えてドロテア・エルトマン男夫人に作品101の印刷譜を送付している。
この純白の、しかし高度なテクニックを必要とする音楽を聴けば、当時の楽聖の心境が(ある意味)晴れやかだっただろうと僕は想像するのである(あくまで魂レベルでのこと)。
しかし、実際には彼の身体は(心も)重かった。
10月15日以来ひどい病となり、その余波にまだ苦しみ治癒しておらず、ご存知のように、私は作曲のみで食べていかなければならないのですが、この病気以来ほんのわずかしか作曲できず、ほとんどまったく稼ぐことができませんので、もしあなたが私のために何かやってくださるのなら大歓迎です。
(1817年4月19日付、ニート宛)
~同上書P328
そしてさらに、この手紙の後段で次のような報告もしている。
オペラ《フィデリオ》は何年も前に書かれましたが、本も詞もたいへん問題があり、本は全部書き換えられ、それにより何曲もが拡大され、またあるものは短縮され、さらにあるものはまったく新しく付け加えて作曲されなければなりませんでした。イ長調Sy.については、満足なお返事をいただけなかったので、それを出版せざるを得ませんでしたが、もしフィルハーモニー協会がそれを受け容れるだろうとあなたが書いてくだされば、快く3年は待つのにやぶさかではありませんでした。
チェロ伴奏付ピアノ・ソナタに関しては、1ヶ月の時間を差し上げますが、その後お返事がなければドイツで出版します。しかしあなたから何も言ってこないので、私にせがんでいるあるドイツの出版社に渡してあり、あなたがロンドンで売り出すよりも前に彼がこのソナタを出版しないよう求めています。
~同上書P329

独立した作曲家の仕事が出版までであり、楽聖ベートーヴェンであろうと総譜がそう易々とは売れなかったことが理解でき、何だかとても痛々しい。
(この身を持つことの苦悩よ)
しかしながら、その音楽はいずれも光輝に充ち、崇高であり、現代にも聴き継がれている傑作たちであることが興味深い。
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101(1816)
ウラディーミル・ホロヴィッツ(ピアノ)(1967.11.26Live)
カーネギーホールでのライヴ録音は、技術上の瑕あれど、演奏はとても素晴らしいもの。
しんみりと、そして優しく、ため息をつくように囁かれる第1楽章の美しさが際立つ。
続く第2楽章はライヴならではの忙しさと焦りが感じられるが、音楽そのものは豊潤だ。
しかしながら、最高なるは第3楽章以降だろう。まさに、吉田さんの言う浪漫的「憂鬱」が刻印されるホロヴィッツならではの名演奏が聴かれるのだ。
さらにアタッカで奏される終楽章に見る、解放による解決の道はベートーヴェンの常套であり、ここでのホロヴィッツも「憂鬱」を手放し、コーダでついに大きく弾ける。何という喜びだろう。聴衆が共感し、共鳴する様子がまざまざと伝わる。
それとももう一つ、ホロヴィッツには、ルービンスタインばかりでなく、今世紀のほかのどんな名人ともちがう《憂鬱》がある。これは、それこそ、完全にロマンティックなものであって、この一つをとりだしてみても、今日私たちが耳にできるピアニストの大家の中でいえば、ホロヴィッツこそ、最も典型的にロマンティックな天才と呼ばないわけにはいかない。
~「吉田秀和全集6 ピアニストについて」(白水社)P84
吉田さんの「ホロヴィッツ論」の中のこの一節にこそ大きな答があるように僕は思う。


