マッケラスのヤナーチェク「死者の家から」を聴いて思ふ

jancek_kata_kabanova_mackerrasヤナーチェクの辞世の句ともいうべき歌劇「死者の家から」は真に不思議な作品だ。
ドストエフスキーの転換期となったドキュメントともいうべき小説が原作であるが、その内容の深刻さに比較して音楽は第1幕の序奏(序曲?)から実に美しく情緒的で、特別傑出しているとは思えない旋律が耳について離れず、音楽だけでもとつい繰り返し聴く羽目になる。そもそも原作自体が作家の実体験を基にした日記のような体であるゆえ、そこに何か大きな出来事があるわけでもなく、本歌劇においてもいわゆる収容所の情景や人間模様が場を変え淡々と描かれることで物語が進行する。

どうしてヤナーチェクはこの小説に惹かれ、そしてオペラ化しようと考えたのか?
音楽作品というのは、創造物というものは、作曲者の、そして創造者のその時々の内面を端的に表すものだ。当時の作曲家の周辺を洗ってみると様々発見があり興味深い。

例えば、歌劇作曲中のヤナーチェクがカミラ・ステッスローヴァに宛てた手紙。

まるでこの作品の中へのめりこんでしまい、人間の中でも一番みじめなところまで落ち込んでいくようだ。
1927年11月29日消印

こうして私は作品を次々と仕上げている。まるで人生の総決算をせねばならぬかのように。パン屋が小麦粉の塊を籠に投げ入れるように、私は新しいオペラを急いでいる。
1927年11月30日付

私の最高の作品かもしれない最新のオペラを仕上げている。血が噴き出そうになるまでに興奮している。
1927年12月2日付

73歳のヤナーチェクは恋い焦がれる38歳年下のカミラにほとんど毎日のように手紙を出していたよう。この、決して成就することのないだろう(少なくともカミラには恋愛感情はなかったとみる)想いを封じ込めるかのように、そしてその現実がまさに自由を奪われた「死者の家」なんだと仄めかすかのように、あるいは逆に何とか自分の想いを受け止めてくれと希うように老作曲家は自身の内の複雑な感情を作品に託した。

筆を措くときが来たという気が本当にしている。この「死者の家」が出来上がったら、私の魂からどれほどのものが抜け落ちてしまうか、君にはわかるまい。
1928年5月5日付

そして、この手紙の3ヶ月余り後に本当にヤナーチェクは急逝する。

ヤナーチェク:歌劇「死者の家から」
ダリボル・イェドリチカ(ゴリャンチコフ、バリトン)
ヴァーツラフ・ズィーテク(シシュコフ、バリトン)
ヤロスラヴァ・ヤンスカー(アリイエイヤ、ソプラノ)
イージー・ザハドロニーチェク(フィルカ・モロゾフ/ルカ・クジミチ、テノール)
イヴォ・ジーデク(スクラトフ、テノール)
アントニン・シュヴォルツ(司令官、バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団
サー・チャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1980.3録音)

傑作「シンフォニエッタ」と双生児的な金管の煌めく咆哮と打楽器の地鳴りのような響きは、晩年のヤナーチェクの、体力的に衰えた自らを鼓舞する「男性としての心の叫び」を表すよう。
肝は第3幕。この、病棟でのシーンにおいての囚人たちのやり取りの中にヤナーチェク自身の本性が隠される。最後にアレクサンドル・ペトロヴィチは言うのだ。

死者たちの中から復活!

それに応えて他の囚人たちは叫ぶ。

自由!自由!見ろよ、振り返りもせん!自由!皇帝たる鷲!

現実の苦悩を身をもって知り、もはや戻るまいとする死出の旅・・・。ともかく一度舞台に触れたいと思う。

※太字ヤナーチェクの手紙は日本ヤナーチェク友の会編「対訳と解説」P98から抜粋引用(ジョン・ティレル作、青木勇人、小田謙爾、佐川吉男共訳)。

 


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1 COMMENT

岡本浩和の音楽日記「アレグロ・コン・ブリオ」

[…] 人間世界の酸いも甘いも、レオシュ・ヤナーチェクの選択する歌劇の題材は、いつもとても興味深い。何より僕は彼の思想に触発され、啓示を受け、いつも考えさせられるのである。 例えば、「利口な女狐の物語」では、生命を育む自然の雄大さと神秘から、作曲家の描く輪廻を超え、その環からいかに逃れねばならないかを教えられた。 あるいは、「カーチャ・カバノヴァー」からは、現実には決して越えられない、否、越えてはいけない関係があり、間違って越えてしまったときの(目には見えない)業というものの恐ろしさを知った。そしてまた、生こそが死であり、死がいわばあらゆる苦悩からの卒業であり、浄化なのだということを「死者の家から」からあらためて学んだ。 […]

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