メルヘン・オペラに陶酔する。
オットー・クレンペラーの悠々たる演奏に垣間見えるエンゲルベルト・フンパーディンクへの思念が魂にまで響く。全曲の録音が欲しかった。
歌劇「ヘンゼルとグレーテル」は、その上演回数でも相当の人気を博した美しいオペラだ。しかし、作曲者本人は随分謙遜する。それは、師であるリヒャルト・ワーグナーの才能に比して自分の創作したものなど論ずるに価しないものだとするのである。
「ですがフンパーディンク教授、反論させて下さい、友人のオスカル・ビーは『ベルリン株式新報』紙の批評家で、歌劇の権威として有名ですが、《ヘンゼルとグレーテル》ほど上演回数を重ねた歌劇はないと断言しています」。
「それは多分本当だろうが、その世界的な大成功は、ほとんどが台本の元になった魅力的なおとぎ話のおかげだ。加えて《ヘンゼルとグレーテル》は、マスカーニやレオンカヴァッロのどぎついヴェリズモ・オペラに対する、願ってもない解毒剤となった。歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》や《道化師》がその典型例だ。天使が森の中で迷った子供たちを守ろうと天から降りて来る、子供たちが恐ろしい魔法使いの老婆をかまどに押し込む、ジンジャー・ブレッドに変えられた小さな男の子と女の子はまた元の人間に戻る—これが世間に受けた。実際のところ子供向けの話だが、心の中では我々は皆子供なんだ。ずいぶん長い期間にわたって大変な思いをした他の歌劇では、とてもあんな成功はしていない。これに対し、リヒャルト・ワーグナーの10作にも及ぶ楽劇は、今でも相変わらず部隊の牽引力だ」。
~アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)P216-217
フンパーディンクは台本の素晴らしさをアピールするが、人間誰しも本来の心が純粋無垢であり、赤子の心を持っているのだということをわかっていたのかもしれない。台本以上に音楽の素晴らしさ、音楽こそが物語に華を添えていることは間違いない。
今日のところは抜粋を。
ウォルター・レッグの采配なのだと思うが、クレンペラーのEMI録音に見るのは気高さと音楽の喜びだ。ワーグナーの前奏曲に優るとも劣らぬ(そもそも比べるものでもないのだが)崇高さと情感が混淆する可憐で美しい演奏は、僕の心を魅了する。
そして、第2幕第3場で奏される「夢のパントマイム」も、祈りと安息に溢れる静謐な音調で、文字通り眠る子どもたちの無垢な心情を取り戻せといわんばかりの優しさに満ちている。そしてまた、ワーグナーにはない透明な浪漫、軽快な愉悦がフンパーディンクの音楽の最大の特長だ(台本は実母の性格が原作から大きく改変されており、ハッピーエンドであることも大きい)。
この会話から6年後の1911年に、当時欧州で他の誰よりも歌劇に詳しかったオスカル・ビーが私に語ったところによると、1900年から10年までの10年間にフンパーディンクが受け取った印税は、200万マルク(50万ドル)以上に達したという。
~同上書P217
「ヘンゼルとグレーテル」が、どれほど人気の高いドイツ・メルヘン・オペラだったことか。
※過去記事(2018年10月11日)
※過去記事(2018年4月7日)