フルトヴェングラー&ベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲第4番(1943.6.27Live)を聴いて思ふ

beethoven_4_schumann_concerto_furtwangler_melodiya034昨晩の大勢の聴衆を前にしてのルイサダの即興性溢れる(実際には詳細な計算と入念なリハーサルのもとに組み立てられたものだろうけれど、それでも何%かはその時その場のエネルギーに影響を受けた演奏だろうからあえて即興と書く)パフォーマンスは本当に見事だった。音楽とは真に生き物である。聴く者と演奏する者があって、しかも相互に血(気)を通わせることで生命漲るものへと化学反応を起こす。もちろんそのことは音楽に限ったことではないのだけれど。

戦時下の旧ベルリン・フィルハーモニーでのフルトヴェングラーの演奏を想った。
残された録音はいずれも実に凄まじい。筆舌に尽くし難い、およそ生音楽という表現だけではまったく足りない驚異のパフォーマンス。あるいは、戦時中という緊迫直下の時代だからこそ為し得たものなのかもしれないが、古びた録音からでも指揮者と奏者と、そして聴衆の「一期一会」的触れ合いが随所に蠢いており、音盤を眼の前に彼らの音楽にひれ伏す思いに駆られる。
もはやこれは繰り返し聴くものではない。本来なら生涯に一度きりという約束で聴くべき代物だと言っても言い過ぎではないが、幸か不幸か反復して聴くことを可能にした音盤が残された。

ベートーヴェンの交響曲第4番を聴いた。1943年の演奏を収録した音盤は、同じ時期のものでいくつか別種が存在する。ひとつは、聴衆ありのコンサートの模様を収録したもの、もうひとつは聴衆なしの放送録音のもの、さらにあとひとつはそれらの折衷版である。しかも、同日のコンサートの模様を収録したものであるにもかかわらず(タイミングは異なるのだが、聴衆の咳払いや雑音の箇所を考慮すると2種は同日のものだと考えて良い)、戦後すぐにソ連に接収されたマグネトフォン録音がソ連から返還され、1989年にグラモフォンによってCD化されたものは43年6月30日のライブだと記載されているのに対し、アナログLPを復刻したメロディア盤(1993年リリース)では同年6月27日との記載(残念ながら、どこを調べても今のところどちらの情報が正確なのかは不明)。こうなるともはやミステリーである(笑)。

フルトヴェングラーは聴衆の前でのみ燃え上がるという定説に従い、ライブ収録の方を取り出し、グラモフォン盤とメロディア盤を比較した。音の重みや自然さからみて明らかにメロディア復刻盤の勝ち(高音がキンキンと煩いグラモフォン盤はテープ録音の限界を示すのか・・・、逆にアナログ初期盤の自然な音がいかに素晴らしかったかを教えてくれる)。

・ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調作品60(1943.6.27Live)
・シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54(1942.3.1Live)
ワルター・ギーゼキング(ピアノ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(MEL CD 10 00719)

第1楽章主部に入ってからのティンパニの轟音にまずは度肝を抜かれる(果たしてこの作品はここまで激情を要求しているのか?シューマンの言う「2人の北欧巨人の間に挟まれたギリシャの乙女」という比喩が正しいとするならやり過ぎのように思える)。あまりに凄まじいテンポの揺れに思わず心が震え、僕たちはフルトヴェングラーの虜になる。第2楽章アダージョの意味深い祈りも最高。もちろん第3楽章メヌエットの意味深で鈍重な舞踏もフルトヴェングラーならではだが、この時の演奏の白眉は何といっても終楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポのとことんまで演奏者を追い込んだ劇的な前進性だ。

ところで、クリスティアン・ガンシュ氏(シドラ房子氏訳)の「オーケストラ・モデル―多様な個性から組織の調和を創るマネジメント」(阪急コミュニケーションズ)には、組織の全体最適と部分最適のバランスをいかにとるかの例として次の件がある。

これと関連して思い出すのは、ベートーヴェンの交響曲第4番である。この終楽章に短いファゴットソロがあって、ある程度以上のテンポになると一流のファゴット奏者でも額に汗するほど技術的に難しい。
終楽章全体が急速なテンポで、リズムに特徴がある。曲の終わり近くになって、ベートーヴェンは出し抜けに奇想天外なことをやってのける。オーケストラ全体が次第に高揚して集合的な恍惚に達した後で、ぴたりと止むのだ。そして、たった一人取り残されたファゴットが、誰の耳にもはっきり聴こえる状況で難しいソロを克服しなければならない。それは、基本となるテンポによっては、能力の限界すれすれの技である。
P184-185

さすがに全盛期のフルトヴェングラー&ベルリン・フィルはこの難箇所は平然とこなしている。しかし、フルトヴェングラーの凄いところは、まさにその強烈なテンポ感の下、その技を問題なく披露させているところだ。

同書にはまた次のような件も。

全体を支配する基本方針、つまり音楽の呼吸を重視する指揮者は、細部に迷わない曖昧なテクニックを使う。その代表が、巨匠ヴィルヘルム・フルトヴェングラーだ。
P195

芸術上の理由から曖昧な指揮法を使う指揮者は、困難な状況になれば、すぐに自分の持つ指揮テクニックに戻ることができる。このタイプの指揮者が音楽の流れの中で指揮スタイルに優先させるのは、芸術上の目標のみだ。
P196

20世紀を代表する天才の演奏について真に的を射た言葉であると思う。
さて、カップリングのシューマンの協奏曲。ギーゼキングを独奏に据えたこの演奏は、確かにフルトヴェングラーらしいデモーニッシュな表現が随所に垣間見えるのだが、どうにも重過ぎて辟易とするものがある。昔、フルトヴェングラーが亡くなる直後に実はコルトーとこの曲を録音する予定があったことを知った時愕然としたことを思い出す。フルトヴェングラーとの相性という点では間違いなくギーゼキングよりコルトー!!超名演奏の超名盤になったことだろう。

と申しますのは、わたくしたちは、来月、さ来月と相共に、シューマンの「ピアノ協奏曲」とセザール・フランクの「交響変奏曲」を録音する予定になっていたからです。氏の指揮のもとにあの演奏が実現できたら、わたくしの長い演奏生活のまれなひとときになりましたろうにと、残念でなりません。
なんどか思い出のなかに新たによみがえってまいりますひとつの経験に鑑みまして、わたくしは確信しています。わたくしたち二人にとっていずれ劣らず愛しいものであった計画が日の目を見て氏との協演がかないましたなら、そのレコードはどんなに類のない詩的な意味をもちえたことでしょう。
アルフレッド・コルトーによるフルトヴェングラーの死の直後の追悼文より
「フルトヴェングラーを語る」(白水社)P29

beethoven_4_handel_furtwangler_dg03520世紀を代表する稀代のピアニストがこれほど悲しんでいるのだ。何という残酷・・・。
ちなみに、グラモフォン盤のカップリングはヘンデルの合奏協奏曲ニ短調作品6-10(1944.2.8Live)。こちらは今となってはいかにもおどろおどろしいヘンデルだが、それでも序曲に見る崇高で峻厳な慟哭の響きに思わず感銘を受ける。

・ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調作品60(1943.6.30Live)
・ヘンデル:合奏協奏曲ニ短調作品6-10(1944.2.8Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(DG 427 777-2)

まもなくヴィルヘルム・フルトヴェングラー60回目の命日を迎える。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


日記・雑談(50歳代) ブログランキングへ


2 COMMENTS

小平 聡

この4番の演奏はすばらしいですね。当時(89年)突然、ソ連に接収されていたというライブ録音が日の目を見てDGからCD10枚がリリースされた時には喜々として購入し、以来愛聴盤として聴いてきました。4番はその中でも白眉の1曲だと思います。確かにこのアプローチは曲本来の在りようとは違うのかもしれませんが、序奏から主題へのブリッジひとつとってもフルトヴェングラー以外の何物でもない有無を言わせない力があります。
ところで、比較されたメロディア盤というのはそんなに音がいいのですか。このDG盤も当時他のフルトヴェングラーのレコードと比べると格段によく、これまで結構満足して聴いてきたのですが・・・聴いてみなくては。
ちなみにギーゼキングとのシューマン、ソ連接収テープのDG盤(427 779-2)では録音日が1942年3月3日となっています。別テイクなのか、あるいはこちらもどちらかが間違えているミステリーなのか。

返信する
岡本 浩和

>小平 聡 様
コメントをありがとうございます。
おっしゃるように僕も当時狂喜乱舞致しました。初めて聴いた時は戦時中とは思えない優秀な録音に度肝を抜かれたのですが、今になって聴いてみると低音部が随分カットされている様に感じられます。その分「抜け」は良いのですが、高音のキンキン音がうるさく感じられます。一方のメロディア盤はその意味で中低音がしっかりしています。音圧が十分なので、より自然に感じられると言いましょうか。少なくとも僕の装置ではメロディア盤に軍配が上がります。機会がありましたら聴いてみてください。
なお、シューマンのDG盤は手元に見つからないので、ひょっとすると当時購入しなかったのかもしれません。記憶が曖昧で何ともですが・・・。なるほどこちらも日付が違っていますね。とはいえ状況を考えると同一録音の可能性が高いと思います。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む