
ベートーヴェンは皆大歓喜の後、否、同時的かも知れないが、いわゆる涅槃の境地に入っていったように思われる。おそらく当時の聴衆のほとんどは理解できなかったのではなかろうか、ピアノ・ソナタにせよ、あるいは弦楽四重奏曲にせよ、ある意味難解とはいえ、一旦腑に落ちたらば生涯の至宝になること間違いなしの作品たちは、それぞれ独自の光を放つ。
光は無限であり、無色透明、かつ闇を照らす絶対的存在だ。
1825年当時のベートーヴェンは経済的困窮の最中だった。
そして、死の床にあった1827年2月の時点でも苦しい状況と、援助を受けることができることへの感謝を伝える書簡が残る。さらに・・・、
フィルハーモニック協会が私のために開催することを決定したコンサートに関してですが、協会にはこの尊いご計画を放棄されないよう、また貴協会が私に現在すでに前もってお送り下さったこの1000グルデン約定価は、このコンサートの売上げから差し引くよう、お願いいたします。また協会が私に残金をさらに慈悲深く送って下さろうとするのなら、協会に私の厚き感謝を、すでにスケッチして私の机のなかにある新しいシンフォニー、あるいは新しい序曲、あるいは協会が望まれる他の何かを書かねばと、御約束いたします。
(1827年3月18日付、モシェレス宛)
~大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P160
死の1週間前の手紙には、彼のやるせない心情と、何ものにも代え難い感謝の念が訥々と綴られており、大崎さんが言うように、確かに胸が痛くなる。
(彼の人生があと1年でも長くあったなら、僕たちはおそらく10番目の交響曲を聴けたことになるだろう)
作品132の、目下のところ、個人的な趣味嗜好における愛聴盤。
(同様に作品135も)
夕方から音盤を4回ほど回した。
いやはや、あらためて「煩悩即菩提」という言葉を思った。
苦難、苦境こそが悟りを開くスイッチだということだ。少なくとも作曲中のベートーヴェンは菩薩の心境だったのではあるまいか。
マルセル・プルーストが作品132をことのほか愛したことを先日書いたが、この崇高な作品の中に俗物ベートーヴェンは存在しない。
一度は不作法な言葉を挿入した後に、シャルリュス氏の話し方がとつぜんふだんどおりの気取った尊大なものにもどったことがお分かりだろう。それは、モレルが娘を犯した後に良心の呵責もなく「ぽいと捨ててしまう」ような人間だと考えたときに、とつぜん完全な快楽を味わったからだ。そうなるとシャルリュス氏の欲望は当分のあいだ鎮まり、しばらく彼の身にとってかわっていたサディストは(これこそまさに霊媒である)逃げ去って、芸術的な洗練と感受性と好意とにあふれた本当のシャルリュス氏に言葉が引きつがれたのだ。「あんたはこのあいだ『四重奏曲第15番』をピアノ向けに直したものを弾いたけれど、あれだけでもばかげた話だね。だって、あれほどピアノ的でない曲はほかにないんだから。あれはね、耳の聞こえない栄光の作曲家のあまりに張りつめた絃で耳が痛くなるような人たちのための曲なのだから。ところで、あの曲の崇高さは、まさにこうした手きびしいまでの神秘主義にあるんだ。いずれにせよ、すべての楽章を変えてしまったあんたの演奏はひどくまずかったな。あれは自分で作曲しているように演奏しなけりゃいかんのさ。
~マルセル・プルースト/鈴木道彦訳「失われた時を求めて8 第4篇『ソドムとゴモラII』」(集英社文庫ヘリテージシリーズ)P348
プルーストの創作は、仮我を超え、真我に到達するための何かが作品132にあることを謳う。この曲が弦楽四重奏曲でなければならない理由もそのとおりだろう。
東京クヮルテットの現代的な、研ぎ澄まされた演奏がものを言う。
(まさにここには自分で作曲しているような、たった今生まれたばかりの新鮮さが聴こえる)
東京クヮルテットのベートーヴェン作品132(2008録音)&作品135(2007録音)を聴いて思ふ 