メンゲルベルク指揮ベルリン・フィルのチャイコフスキー交響曲第5番(1940.7)を聴いて思ふ

tchaikovsky_5_mengelberg_bpo234しばらくロシア(ソビエト)の20世紀音楽を聴いてきて思った。ショスタコーヴィチにせよプロコフィエフにせよ、そしてラフマニノフにせよスクリャービンにせよ、その原点の右側にチャイコフスキーがあり、左側にムソルグスキーがあったのだろうと。

ムーソルグスキイは42年と1週間という短い生涯のうちで、そのほぼ中間点にあたる1861年2月に、「農奴解放」という帝政ロシアの歴史における最大の政治的事件に遭遇した。この事件を境として、地主の次男であった彼の生活は貧困化への一途を辿り、彼はしまいには根無し草のホームレス的身分へと落ちぶれていくのであるが、「力強い仲間」の作曲家たちは、いずれもが多少とも同様な立場に置かれていた。ロシアでは音楽家は本来外国人の職業であり、ロシア人貴族にとっては職業として認められていなかったのである。
森田稔著「ロシア音楽の魅力―グリンカ、ムソルグスキー、チャイコフスキー」(東洋書店)P71

じり貧の生活と、その一方で湯水のごとく湧き出づる枯れることのないイマジネーション。その時代の人々の感性では受け容れることが難しかったであろう数々の傑作を享受し得る現代の僕たちは幸せだ。
同様にチャイコフスキーの場合。

ロシア最大の音楽学者として尊敬されているアサーフィエフ(1884-1948)に、「私はチャイコーフスキイの前に深くひざまずかずにはいられない。彼の音楽が私を『音楽』への思索に導いたのだから」というのがある。この偉大な音楽学者はチャイコーフスキイの音楽によって、音楽のことを考えるようになったというのである。つまり、彼の音楽の構造が秘めているものが何であるかを考えることから、音楽そのものについて考えるようになった、というのである。チャイコーフスキイの音楽がいつまでもその魅力を失わないのは、分かりやすく親しみやすいからだけではなく、音楽の深いところに起因しているからだ、というのである。
~同上書P146

ボリス・アサーフィエフの言葉に首肯。チャイコフスキーは真に深い。

チャイコフスキー:
・交響曲第5番ホ短調作品64
ウィレム・メンゲルベルク指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1940.7.8&11録音)
・序曲「1812年」作品49
ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1940.4.9録音)

10代の頃、メンゲルベルクの海賊盤を漁り、独り静かに傾聴、悦に浸っていた。懐かしい思い出。とはいえ、今となっては不自然極まりないテンポの揺れに違和感。そして、終楽章の展開部とコーダ冒頭の数小節をカットするという意味不明の横暴。メンゲルベルクといえど許し難い行為ではあるが、しかし、ここには(あの時代の独裁者の)チャイコフスキーへの深い信仰と尊敬がある(ように思う)。

手兵コンセルトヘボウとの「1812年序曲」冒頭の、あまりに美しいチェロとヴィオラによる旋律に感動。アンダンテの部分に入っての木管や金管の朗々たる響き、さらに最後の部分のフランス軍とロシア軍の交錯からロシア軍が勝利を遂げるシーンに、見事に統率された旧き良き時代の愛情深き演奏の素晴らしさを想う。
メンゲルベルク&アムステルダム・コンセルトヘボウが20世紀音楽史の輝ける一ページであることに間違いはない。

 

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