
パンのための仕事。
経済的困窮は、その意味を真に正しく捉え、糧にできたならば、間違いなく心の成長の鍵になる。ベートーヴェンの最後期の作品群が、いずれも神がかった出来であることがその証だ(ベートーヴェンはそれを正しく捉えたのだと思う)。
あのソナタは苦しい(困窮した)状況のなかで書かれ、というのはほとんどパンのために書くのはつらいことで、私はそれをそのようにやり遂げただけだ。
(1819年3月19日付、リース宛)
~大崎滋生著「ベートーヴェン 完全詳細年譜」(春秋社)P355
通称「ハンマークラヴィーア・ソナタ」の深遠な響き(そしてあまりの長尺さ)は、やはり当時の人々には早過ぎたのではないのか。献呈されたルドルフ大公は、無類の好事家だったが、単なる趣味の域を超えた腕前の持ち主だったことがわかる。
「成就」は大司教就任のみならず、ルドルフが作曲の学習において長足の進歩を示し、主題を与えて変奏曲を書かせるほどに成長したことに対する、ベートーヴェンの素直な歓びであるとすれば、「万歳」と共通する歓喜の感情の表出と見ることができる。《ハンマークラヴィーア》がルドルフ大公に献呈することを前提に大公のために書かれたという意味では、《告別・不在・再会》ソナタと双璧を成しているが、しかしそれに留まらず、《ミサ・ソレムニス》作曲の意思が固まっていく途上にこの作品があることがきわめて重要である。
~大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P358
「ミサ・ソレムニス」も、もちろん「第九」も、皆大歓喜、すなわち世界の平和を祈る作品であり、当時のベートーヴェン心境がその一点に収斂されて行く様子が感じ取れる。
(ルドルフ大公に対する歓喜の感情は、全世界に向けての歓喜であったともいえる)
6年前に若くして亡くなったディーナ・ウゴルスカヤ。
女流ならではの優美さをとり込んだ極めて美しい作品106。
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」
ディーナ・ウゴルスカヤ(ピアノ)(2011.9録音)
全編通じて音楽の女神が舞い降りるような、清澄な、清廉な音楽が紡がれる。
ただただ自身の窮乏状況を俯瞰し、誰も恨まず、誰も責めず、自らを鼓舞せんと発露される神の調べ。
先天と後天は一体であり、また両輪であることがよくわかる。
父アナトールの弾く「ハンマークラヴィーア」を聴いてみたかった。
ディーナ・ウゴルスカヤのベートーヴェン作品106&作品111(2011.11録音)を聴いて思ふ 